南京虐殺文書の世界記憶遺産登録

 「シベリア抑留記録」がユネスコの世界記録遺産に登録されると同時に登録された「南京虐殺文書」について日本政府が中国政府に世界記録を政治的に利用していると抗議している。

 日本政府筋は「中国の記憶遺産申請は政治的利用であり、記憶遺産の本来の目的を逸脱している。このような理不尽な登録が行われた場合、分担金の支払いを留保することも考えていいのではないか」と、「断固たる措置を取る」としてユネスコ予算の日本の分担金をストップする構えである。

  しかし、誰が見ても日本が被害者である「シベリア抑留の記録」は通して、日本が加害者であるからといって「南京虐殺の記録」に文句をつけるのはおかしいのではなかろうか。それに日本は特攻隊の記録を記録遺産に登録しようとしているそうなのである。

 南京虐殺については日本政府も虐殺があったことは公式に認めている事実であり、日本に取って歓迎すべきことでないにしろ、同じ戦争がらみの記録で自国の被害の記録を推しながら、自国が加害者となる記録には反対するのは、どう見ても世界には通用しないであろう。

 南京虐殺事件は規模の大小など委細は問題点を含むにせよ、現実にあったことは世界的に明らかなことで、ユネスコもその事実を認めて登録したもので、安倍首相をはじめとする日本の右翼勢力が南京事件がなかったと主張すればするほど、この国の立場を悪くするだけである。

 虐殺の事実は東京裁判でも明らかだし、当時の南京在住の外国人の証言などもある。日本の国内の調査によっても裏付けられている。私自身の子供時代の思い出だけでも虐殺のあったのは事実だったろうと想像され、これを否定することの方が困難である。

 当時の日本軍は補給を考えない戦い方の軍隊で、ほとんど補給は「現地調達」で賄っ

ていたので、他の占領地と同様に南京占領時にも現地での暴行、略奪が行われたことは当然だろうし、日本兵の食料を賄うだけでも大変なのに、捉えた大量の捕虜に食べさせる食料を用意することなど出来たはずもなく、当然その処置に困っていたことが考えられるわけで、大虐殺が行われやすい背景が十分あったことを考えに入れないわけにはいかない。

 さらに子供の頃に戦争帰りの村の若者たちが自慢して当時の私たち子供にまで聞かせた話などからも戦争に行けば何をしても良いような雰囲気が当時の兵隊にあったことも思い出される。当時は中国人を「ちゃんころ」と呼び、「ちゃんころ」を何人殺したとかいう話が平気でされていた時代である。

 非戦闘員も「便衣隊」と呼んで無差別殺戮の対象とされることが多かったし、当時の日本軍は現地人を同じ人間として見ていなかったようである。他の戦線でも初めて戦争に来た初年兵に戦争に慣れさせるためと称して、棒杭に括り付けた捕虜などを銃剣で刺して殺させるようなことも行われていたようである。

 そういう背景の上に当時の話で何故か覚えているのは、「揚子江にあまりにも多くの屍が流れて来て軍艦のスクリュウに屍が巻きつき船が動かなくなったというクレームがあった」という話である。おそらくかなり多くの人が河岸で殺され流されたのであろうと思われる。

 そういう事実を別にしても、自国の被害は認めながら加害は否定する態度は誰が見ても公平ではなく、世界に認められるわけがない。かえって我が国を孤立化させるばかりである。原爆被害の訴えが必ずしも思うように世界に伝わらないのにも同じように加害者としての戦争責任を明らかにしないところに問題がある。

 日本人が戦時中の大都市の焼夷弾による空襲や原爆の被害を何時までも伝えたいと思うのと同様に中国や韓国、東南アジアの人たちが日本軍によって被った悲惨な歴史をいつまでも伝えたいと思っていることを理解すべきである。   

 この国ではあの敗戦の責任をうやむやにして侵略戦争の総括を未だにしていないことがその根源にある。ドイツを見習うべくもなく、ここらで過去を正しく反省した基本的な姿勢を確立しないと将来この国は世界の孤児になりかねないであろう。