歳による老いの感じ方

 成長は必然的に老いを孕むものだから、人は成長するにつれて、必然的に老いの兆候がやって来て、それを感じさせられることになるのは止むをえないことであろう。 35〜40歳ぐらいにでもなると、自分ではまだ若いと思っていても、遅かれ早かれ、老いの兆しが出てくるのが普通である。

 私が初めてそれを感じて驚課されたのも40歳の少し前頃だったような気がする。私は子供の頃から、視力検査で、視力表の一番下の2.0まではっきり見えていたので、視力に関しては、人に負けない自信のようなものを持っていた。ところが、何かの機会にたまたま、少し年下の友人と遠くの物を識別する機会があり、友人がそれを確かめたのに、私にはどう見てもぼんやりしてはっきり見えないことに気付かされたことがあった。

 まだ老化のことなど考えてもいなかった時期だったので、ショックでったが、事実は受け入れざるを得なかった。これが私が老化の兆候を感じた初めの出来事であった。遠視の人は老眼が来るのが早いそうである。

 やがて40歳を過ぎたが、まだまだ元気で30歳代と同じ気分でいたが、仕事などで夜眠れない日が続くと、昼間が辛くなる感じがするようになってきた。その頃のNHKに興味深い番組があったのを覚えている。40歳代の男2人と、30代の男2人の4人で徹夜マージャンをさせ、時々、間で疲労度の検査をする実験のテレビであった。それによると、12時頃までは、40代の方が勝っていたが、12時を過ぎた頃からは、てきめんに40代の二人の疲労度が増していき、勝負も次第に30代の方が勝っていったという結果であった。

 昔から42歳は男の厄年と言われてるが、この年代頃の人は自分ではまだ青年のままで元気だと思っている日tが多いが、気分は若くとも、多くは二十歳代ごろからの無理がたたって、その積み重ねの結果がそろそろ出始める頃とな利用である。見かけは元気でも負担をかけてみると、もはや老兆が隠し難くなるようである。成人病検診などで血圧や血液脂質、糖尿病などを指摘されることが多くなるのもこの頃からである。

 50歳代になると、それまで自分は永遠の青年だと思って来た人たちも、もう殆どの人が「歳を感じる」ようになる。30代では健康診断で異常を発見されるのはまだ少数派であるが、40代になると何かに異常が出る人が増え始め、50代ではもう何処にも異常を指摘されない人の方が少なくなるものである。

 私は57〜58歳頃、四国へ赴任しており、久し振りで大阪へ帰って、心斎橋を歩いた時に感じさせられたことを覚えている。心斎橋は若い時から始終通っていた馴染みの通りである。それまでは一緒に歩いている周りの群衆が、殆ど皆自分と同じぐらいか、それより年上の人ばかりという感じだったのに、ふと気付いて周りを見ると、皆自分より若い人ばかりではないか。知らない間に、いつしか歳をとってしまったのだなとつくづく感じたものだった。

 60過ぎて、病院を辞めて、第一線を退き、企業の産業医の仕事をするようになった。こうなると、嫌でも老人の仲間入りを自覚させられ、仕事も老後の仕事として割り切ることとなる。地域の医師会に入れて貰うと、大学の同級生もおり、さらに先輩格の人もいて、老人の中では若い方で、少し若返ったような感じもしたが、もはや周囲の老人に囲まれて、自らも自然と老人の仲間入りということになってしまった。

 それでも、健康状態には変わりなく元気に動き回れたので、80歳を過ぎてもなお仕事を続けていた。幸い70歳代には病気をすることもなく、時間的なゆとりも出来たので、趣味の絵や写真、それに美術館や画廊巡り、芝居や音楽会などに時間を費やしたり、国内ばかりか世界をあちこちを女房と一緒に歩いて楽しむことが出来た。老年の比較的安定期であったとでも言えようか。

 ただ、80歳を過ぎてからは、もはや平均年齢を生きたし、後はいつ死んでも良い、成り行きに任せようと思うようになり、自然体の生活を心がけ、それまで毎年チェックしていた健康診断は受けないことにした。自覚症状もないのにわざわざ検診でガンが見つけて悩むことはない。誰しもいつかは死ぬものであり、最早いつ死んでも良いと思うようになった。

 ただ生きている間は健康でいたいので、80歳からテレビ体操や自分なりのストレッチ体操を始め、毎月箕面の滝まで行くなど、出来るだけ歩くようにした。そのお蔭もあってか、その後も元気な生活を続けることが出来たが、85歳を過ぎる頃からは友人が次々と死んでいき、次第に周りが寂しくなり、残っている者も会合が終わって別れる時には「生きていたらまたね」というのが挨拶になった。

 87歳で心筋梗塞になった。漠然とした強い倦怠感で自分でも高速を疑ったが、確かめようとして受診したのが運の尽き。救急車で運ばれて循環器センターに入れられ、有無を言わせず、ステント入れられ軽くて助かった。いっそ、太い血管の閉塞で頓死していたら良かったかもと思ったりした。Do not CPRというプラカードまで作っていたのに役に立たなかった。これを機会に仕事も基本的に辞めた。

 90歳を超えると、もう老年的超越か、死が近くなり、益々いつ死んでも良い、自然の成り行きに任せようという思いが強くなった。次第に朝起きるのが早くなり、寝る時間が長くなってきた。速歩が自慢であったのが、流石に歩くのが遅くなり、皆に追い抜かれて行くようになった。 周りの友人が皆死んでしまって、友人がいなくなるし、何処へ行っても長老扱いされることになる。

 それでも最近はまだ年齢の上の人もいる。百何歳だという人にも出喰わすが、強いてそこまで生きたいとは思わない。政治や社会に腹の立つことも多いが、もはや自分がどのように出来るものでもない。それより今の生活を続けて、成り行きに任せ、来年にでもまた娘や孫たちに会えればと思っている。