80歳代と90歳代の違い

 定年後長く働いていた人も80歳を超えると、もう多くの人が仕事を辞めるか、辞めめなくとも、歳なりに仕事を減らしてゆっくり暮らすようになることが多い。

 今度の政府が考えている「全世代型社会保障制度」でも、流石に老人を働かせるのも80歳ぐらいまでである。80歳過ぎるともう完全な老後の世界といっても良いであろう。その頃になるまでには、ガンや心血管系の病気などでもう死んでしまった人も多くなり、生きていても、誰しも体力が衰えて、何事も若い時のようには行かない。同窓会のような長く続いてきた集まりも、大規模なものは世話をする方が大変になって終わりになることが多く、残った仲間たちの小規模な集まりだけが残るぐらいのこととなる。

 私の例を見ても、80歳を過ぎてからも、昔からの親しい同年輩の者たちの集まりだけは続いていたが、それも85歳を超える頃から一人亡くなり、二人亡くなっていき、90歳を超えた時点では、毎年集まっていた料亭がなくなり、残った者も逝ってしまい、91歳で誰もいなくなってしまった。

 趣味の集まりも減っていいく。70代の頃は60代から始めた写真の会も、多い時には年間6回も発表する機会が回ってきたが、会社を辞めてその会が減り、美術団体を辞めて三つも同時になくなり、医師会の会も高齢化と人が減って消滅、最後に残って長く続いていた同好会も仲間が年老いたり、死んだりで、次第に先細りとなり、とうとう九十歳で四人だけになり、続けられなくなって解散してしまった。クロッキーの会だけが残っている。

 私は80歳を超えてからも仕事を続けていたが、それまで毎年受けていた健診は止めた。今更ガンガ見つかっても、延命よりも自然の経過に任せる方が良いと考えたからである。幸い特にどこが悪いということもなく、仕事以外にも趣味で時間を取られることも多く、あちこち旅行をしたり、街や郊外を散策したりもして、老人なりに忙しくしていたが、87歳で心筋梗塞になり、以来仕事を減らした。

 それでも、その時の精査で、罹患以外の血管には動脈硬化性病変が殆どなく、色々な検査でも問題になるような点が何もないことが分かって返って安心し、その後も自覚症状もないまま元気で、それまで同様に動き回って、普通に生活を続けられてきた。

 ところが90歳を超えると、やはり少し違ってきた。まず最初は91歳、即ち昨年の夏の暑さである。それまでと同様に動いて暮らしていたが、いつまでも続く9月の酷暑に流石にこれまでになく疲れた感じを覚えた。特にどこが悪という訳でもないので、そのままにしていたが、以前ならば、午前中何処かへ行って、午後にはまた違った所へ行くとか、梅田を通るのなら、序でに何処かへ寄るとかすることがよくあったが、疲れを感じるようになり、段々と主目的だけに絞って、序でに何処かへ行くのは止めて、まっすぐ家へ帰るようになった。

 そのうちに、10月の半ば頃から歩くと右足が痛くなり、立ち止まらなければならないようになり、杖をついて歩くようになった。脊椎間狭窄による間欠性跛行である。比較的急に起ってきたので、或いは前立腺癌か何かの骨への転移かもと気になったが、MRIの検査でそれは否定されたし、狭窄の程度も軽いことが判り安心した。間欠性跛行は日常生活の妨げになるので困りものだが、日によってその程度が異なり、時々休みを入れてやれば、歩けないわけではないので、それに良いとされる運動などもしながら出来るだけ歩くようにしている。

 しかし、そうこうするうちに今度は、年末に両下腿に浮腫があることに気付き、心筋梗塞の既往を思い出し、今度は、あるいは心不全の徴候かと心配することになる。ただし、正月になって調べて貰ったら、BNP心不全のという検査値は正常だったし、いつの間にか浮腫も殆んど消退したので一安心した。

 こうしたことが次々と起こるようになったのも90を過ぎれば仕方ないことであろうか。小さいことで言えば、最近は右手の人差し指だけが朝起きた時に血流が悪いのか、白くて、しびれるような事も起こる、その他にも、耳の聞こえが悪くなったし、視力も落ちた。それに目がうっとおしくて、本が読みずらいことが多くなった。夜間は二度は起きなければならなくなったし、時々訳も分からず急にお腹を壊したりもする。

 そんな体の不調が次々に出てくるが、いずれも大したことにならず、、何とか平衡を保って暮らして行くのが90代の生活であろうか。若い時と比べて、思うように体が働かないことを嘆かわしく感じることもあるが、寝込んだり、人の世話にならねばならないこともなく、自力で何とか人並みに暮らして行けることを感謝すべきであろうと考えている。