小学校のコロナ対策授業

 コロナの流行で学校閉鎖が行われ、学業の遅れだけでなく、子供達の精神的な影響などが問題になっている。学校が再開されて、遅れを取り戻すために、夏休みの短縮や、土曜日の授業なども考えられて実行されているようだが、学校ではあくまで感染予防対策をとった上でということは当然であろう。

 しかし、その感染予防対策の子供に対する精神的、肉体的な影響はどのように考えられているのであろうか。感染予防を出来るだけ完璧にするかということにのみ目が向けれていると、学校の急な変化や、その中での対人関係など、子供の成長に対していろいろな悪影響も出てくるのではないかと気になる。

 テレビで見ると、分散教育になっていて、半数づつの子供が登校し、教室では座席の間隔をあけ、先生も子供も皆がフェイスシールドをつけ、教壇の前には透明な膜を張って、先生は膜の向こうから話をするという構図になっているという説明であった。

 感染予防の完璧化を図って考えられてもので、その努力には頭が下がる思いであるが、客観的に見て、これが正しい方策であろうか、少し疑問が湧いた。感染予防が完全に出来たとしても、それによって起こる教育の歪みの影響などは検討されているのであろうか。

 子供にとっては、単に学習内容に沿った話を聞き、それを身につけるだけが学習ではないであろう。先生や友人との一緒になった人間的な接触や交流が、発育盛りの子供にとって、学校教育の重要な内容であろう。感染を恐れるあまりに、そちらがおろそかにならないことも考慮すべきではなかろうか。

 二重教育や感染予防策などによる先生の過労、シールド越しのやりとりや、身体的な接触や会話の減少による子供の精神的発達への影響など、感染防護策が子供の教育や発達に及ぼすマイナスの影響も十分考えられなければならないであろう。

 コロナが感染症であるとはいえ、コロナの感染率は非常に低いものであるし、子供が感染しても重篤になる率は低いと言われている。クラスに感染者が出れば、もちろんそのクラスは一時的に閉鎖すべきであるし、場合によっては学校閉鎖も必要となろう。

 しかし、現在のように社会の感染率も子供の感染率も極めて少なく抑えられている場合に、極端な予防策はそれによるマイナスの面も考慮して、感染の危険と子供の教育や発達とのバランスを慎重に考えるべきではなかろうか。コロナ以外にもインフルエンザや腸内感染症他色々な感染症の危険も従来から存在するのである。

 この初春の学校閉鎖は果たして正しかったかどうか疑問に思ったが、過去のことは兎も角として、今行なわれている学校でのコロナ対策も、もう少し深く考えてみる余地があるのではなかろうか。