コロナで時間が飛んでいく

 以前にも歳をとると時間の経つのが速くなることを書いたが、今年になってからは、更に加速度がついて時の経過がスピードアップしたように感じられてならない。

 昨年の秋から脊椎管狭窄症になり、間歇跛行であまり歩けなくなり、最近はシルバーカーを押して歩いているが、年寄りがそんな姿で大阪まで仕事の出かけるのも気が引けるので、以来仕事も断っている。ところが、まるでそれの合わせるかの様に、丁度2月頃から新型コロナの流行のために、医師会の勉強会やその他の会合も全てが取り止めとなり、出かけなくてもよくなった。

 その上、美術館や劇場、ギャラリーまで殆どが閉鎖され、予約していた音楽会や歌舞伎なども中止、毎月行っていたクロッキーの集まりもなくなり、行く所がすっかりなくなってしまった。

 新型コロナのために、Stay HomeとかSocial Distanceとか言われる時なので、それには協力しようと思っているが、決まった外での用事がなくなると、ずっと家にいることになり、日常生活が単純化するためか、時間の経つのが余計に速くなってしまう。

 新聞の声欄に、「掃除を二回してもまだ昼にならぬ」とか時間を持て余している人が書いていたが、私の場合はそうはいかない。朝4時前には起き、一日中スケジュールに追われて、何やかやこなしている内に、忽ち1日が暮れてしまい、すぐにもう寝なければならない時間になってしまう。ゆっくり掃除機を2回もかけている暇はないのである。

 90過ぎの老人が何故そんなに時間がないのか不思議に思われるであろうが、事実はそうなのである。若い時には、歳をとれば時間がたっぷりあるので、大河の側にでも座って悠々とした流れを一日中、心ゆくまで眺められるような気がしていたものだが、全くそんなゆとりはない。

 1日のスケジュールが単調になり、毎日が同じことの繰り返しになる程に、時間の経過が短く感じられるようである。因みに、最近の私の1日のスケジュールはおよそ以下のようである。

*午前4時前に目が覚めて、テレビで外国や山の風景などを見ながらゆっくり起きる

*起きればすぐにパソコンのスイッチを入れ、立ち上がるまでに身繕いをしたり、書斎の整理などをする

*5時頃までパソコンでMailやInstagramTwitterFaceBookをチェックして、読んだり、返事を書いたりする

*5時過ぎに朝食をとり、新聞を持ってトイレに行く

*6時頃からテレビの外国語講座の番組を見ながら、自分なりの腕立て伏せ他、ストレッチ運動をし、続いて6時25分からラジオ体操

*体操が終わった6時35分から新聞の論説欄や小説、その他、読みたい記事に目を通す

*済んだら洗面をして、寝室の片付けや窓開けなどをし、30分位knapをとる

*起きたらパソコンで続きをして、9時がお茶の時間

*その後11時に昼食を取るまで、パソコンで続きを見たり、本を読んだり

*ゆっくり昼食を取って、12時のニュースを見るまでrelax

*その後1〜2時間位、シルバーカーを押して近辺の散歩

*帰ってから横になって30分か1時間読書

*続いてパソコンで記事を見たり、調べ物をしたり、ブログを書いたりすると忽ち夕方

*5時頃からビールを飲んで夕食をとり、テレビのニュースをみ、風呂へ入ったりしているともう7時

*7時半までにはベッドに入って、しばらく本を読んでいる内にもう寝る時間となり、1日が終わる。

 決して多くのことをしているわけではない。歳をとると動作が緩慢になり、何をするにも時間がかかるのである。若い時なら朝のうちに片付いてしまうことが1日かかってしまっているだけである。

 それにしても、外へ出かける用事がなくなり、訪ねて来る人も少なくなると、毎日が同じ上記の繰り返しになる。 仕事や何かの用事でもあれば、忘れないように心がけるし、違った経験が間に挟まることになるので、日々の区別もつきやすいが、毎日が同じになると日々の区別も曖昧になる。

 朝日新聞を取っているので、土曜日にはBeという特集版があり、日曜日には歌壇、俳壇があるので、一つの目安になるが、同じことの繰り返しで、毎日がそれなりに一杯に動いていると忽ち日が過ぎていく。

 昨日週末だったと思っていたら、もう明日が週末。昨日のことかと思ったら、もう1週間も前のことだったりする。その単調な日々の上に乗っかってくるコロナの事件も瞬く間に変化していく。ついこの間ダイアモンド・プリンセス号だ、武漢の閉鎖だと騒いでいたら、いつの間にか北海道だ、クラスターだとなり、「この1〜2週間が大事だ」と言っていたと思ったら、もうそれは2月のこと、とうとう日本国中がパンデミックになってしまっている。

 思い出してみると、もう2月から一度も梅田までも行っていない。以前は22回分の回数券が一月持たなかったのに、今ではカードケースに収まったまま出番を待っている。歳をとれば時の経つのが速くなるものであるが、最近の様にこんなに速くなると恐ろしくもなる。もう人生の残り時間も短いのだ、もう少しゆっくりさせてくれと叫びたくなる。

 人生の残りの時間を長くしてくれと言っているのではない。残り少ないから、もう少し時間をゆっくり進めて欲しいと言っているのである。