映画 「家族を想うとき」(Sorry, we missed you)

 カンヌで賞を取ったイギリスの名監督ケン・ローチの表題の映画を見た。前作の「私はダニエル・ブレイク」を撮る前後から引退を表明していたが、幸いもう一度社会派の名作を作ってくれたことに感謝したい。

 これは最近少なくなった社会派の映画の中で、前作に続いての傑作と言って良い。現代の末期的な様相を呈する資本主義社会の矛盾を真っ向から批判するというより、その中で暮らす人たちのささやかな日常にありがちなドラマに人々を引き込みながら、社会の矛盾を厳しく批判するこの監督の一連の映画である。

 個人契約の宅配ドライバーの夫と訪問介護の妻。14時間労働、理不尽な待遇、疲労とストレス、子供の不登校。これでもかとばかりの現実描写の後、ラスト場面で更に続く現実の厳しさを突きつけてエンディングにしたところが良い。この衝撃のラストシーンに巨匠の怒りと愛を感じた。 音楽なしのタイトな演出が印象的で、後に尾を引く忘れられない映画になった。

 このギリギリの生活の中で必死に生きる家族の話は、決して遠いイギリスの話ではない。日本でも、まるで原始資本主義に戻ったかのような、雇用関係でない個人的な契約関係で、しかも労働はがんじがらめに締め付けられている業態は現実に、食事の宅配のウーバーイーツやコンビニ契約などで実際に問題になっていることである。

 社会の階級格差が増大し、家庭と労働とのジレンマによって、追い詰められていく庶民の日常生活。バラバラにされて救いのない人々がこの資本主義社会で生き抜く上での、現実の厳しさをを容赦なく突きつける。

 大企業のみが膨大な内部留保を抱え、しかも減税を受けている反面、一般の庶民は、正規雇用者の長時間労働不定期低賃金労働者の増大、労働組合の力の低下、日本だけの平均賃金の下降、社会保障の劣化、少子高齢化などによる生活環境の悪化にも関わらず、孤独化された人々は組合形成の呼びかけにも応じない由である。

 この先どうなっていくのか心配である。