娘たちが二人ともアメリカ人と結婚して、アメリカにに移住してしまい、3人の孫もアメリカ人で、日本にいるのは女房と私だけという家族では、始終、顔を合わせたり、話をするわけにはいかないが、太平洋を渡っての行ったり来たりで、毎年一度や二度は会ってきたので、さして寂しく思ったことはない。
昔は船で行くには速くても十日以上はかかったし、電話をかけても、雑音ばかりで「ザーザー、もしもし、聞こえますか、聞こえますか、ザーザー」と言った調子で大変だったが、今は便利になったものである。
手紙や電話などしなくても、SNSなどで簡単につながるので、必要な連絡に困ることはない。それでも、会って話をするようなわけにはいかず、やっぱり実際に家族が会って話し合いたいものである。もし皆が一緒になる機会があれば、この上ない楽しみとなるのは当然である。
しかし、この歳になると、こちらから出向くのは、次第に億劫になってきた。昔なら、少々時間がかかっても気にならずに、ヨーロッパでもアメリカでも平気で出かけたものだったが、今では飛行機で行くにしても、10時間もかかることを想像すると、つい二の足を踏み勝ちになる。どうしても、向こうから来てくれるのを待つようになる。
ところが、孫たちが成長し一人前になって、仕事をするようになると、それぞれの日程がそのためにも決まるので、皆が一斉に揃って集まることが、次第に困難になってくる。
そんな事情の中で、今回は誰がうまく調整してくれたのか知らないが、運良く皆が揃って日本へ帰って来てくれたので、家族全員が揃ってお祝いをすることが出来た。久し振りで、短時日とは言え、幸せな時を過ごすことが出来たことを感謝している。
孫たちも、東京や大阪、京都などは既に知っているし、今後も訪れることがあるであろうが、消えゆく日本の古い町並みや民家を一度見せてやりたいと思っていたので、一番近場で、兵庫県の古い城下町、篠山へ行き、古い民家をリノベートした変則的なホテルに泊まって家族集合をすることにした。
それぞれの予定で、全員集合出来たのは一夜しかなかったが、古い町並みを歩き、お城を見て、伝統的な栗や黒豆などを味わい、書道展を見たりして、夜は日本風にアレンジしたフランス料理とワインで共にゆっくりとした時間を楽しむことが出来た。英語と日本語のチャンポンの会話で、皆揃って心から和風の古民家の夜を楽しんだ。
自分の歳を考えれば、もう次の家族の全員集合は無理であろう。これが最後となるであろう。娘はまた来年も来るからと言ってくれたが、孫たちでさえ、それぞれの仕事や用事があったりして、恐らく全員が揃う日を決めることは難しくなるであろう。
現に、今回でも、翌日にはもう一組は帰途、途中で別れて関空へ向かったし、孫のカップルはその翌日伊丹から去って行った。いつまでも子供のように思っていた孫たちも、離れているだけに、余計に速く大人になってしまった感じがして、嬉しいやら、ちょっぴり寂しい気がする。もうそれぞれに一人前の大人として働いているようである。
日程を無理に合わせてくれたのであろうが、恐らく最後になるであろう全員集合が出来たことは何よりの幸せであった。個別に会うことはこちらが元気な限りまたあるであろうが、皆が一斉に揃うことは、可能性から言ってまず考え難い。会えなくても、それぞれに違った道で、元気に幸せに生きて行ってくれたらそれで良いと考えている。