A先生を偲んで

  去る12月3日、医師会の最長老のA先生が亡くなられた。追悼文を頼まれたので早速書いて送ったが、それを記録のために、ここに記しておきたい。

A先生を偲んで:

 A先生、本当に長い間お世話になり有難うございました。安らかにお眠り下さい。

 私がA先生に初めてお目にかかったのは、もう三十年以上も前のことになります。病院を辞めて、産業医になり、H医師会に入れて貰った時でした。

 そのすぐ後から、先生は医師会の会長をされましたが、やがて先生が私の旧制北野中学の先輩であり、戦争末期に学んだ海軍兵学校の教官の一人でもあり、しかも阪大の先輩でもあることが判ったのです。以来、先生に海軍流に「願います」と言われれば、海軍流の敬礼を返して「はい」と受けざるを得ない関係になりました。

 そのおかげで、単にH医師会の一会員としてだけでなく、先生が作られたようなものである府医師会の勤務医部会や産業医部会でも、長らく色々とお世話になることになりましたし、関西産研にも設立の時から関わらせていただきました。地域産業保健センターや労働基準協会などの仕事なども一緒にさせていただきました。

 仕事以外でも、医師会の他の先生達ともども旅行を共にしたり、ご馳走を食べに行ったり、沢山の楽しい思い出もあります。また、医師会の写真部でも、例年の正月の写真展に共に出させて貰ったりもしました。

 なお、先生はこういった医師会の関係の会合がある時には、必ずカメラを持参されて、集合写真やスナップ写真を撮られていましたが、私が感心させられたのは、個人を撮ったスナップ写真を後刻、必ず撮られた本人を探してでも渡されていたことでした。私が持っている医師会関係の写真は殆どすべて先生にとってもらった写真と言えるでしょう。

 医師会以外でも、北野中学の同窓会主催で、例年大阪城の中の梅林で、観梅会をやり、その後XXホテルで懇親会があるのですが、その時にも先生が最長老なので、乾杯の挨拶をされるのが恒例になっていましたが、その時も例年、「集合写真を撮るのはA先生」と決まっていたのです。

 その他、今思い出したのは、医師会でパソコンが流行り出した頃、先生も人に遅れじとパソコンを一式を揃えられましたが、私以上の年寄りの初心者には、その操作は決していつも容易とは言えませんでした。しかし、あまり単純な操作の仕方などは若い先生には聞きずらいので、時に私に電話をかけてこられて、操作方法などを聞かれたことがありました。私も詳しいわけではありませんでしたが、先生より先に始めていたので、同じ年寄りの初心者同士で聞きやすかったのではないかと想像したものでした。

 産業医になった私の後半の人生も、もう三十数年と長くなりましたが、その間、ずっとご一緒させていただいて、色々と教えていただいた先生が急におられなくなって、何かぽっかりと穴の空いた様な感じがしてなりません。2020年のオリンピックまで何とか元気でと言ってられたので、残念でなりません。ご冥福を祈って止みません。