京丹後の旅

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  テレビの気象情報を見ていると、いつも兵庫県日本海側の町として豊岡の名前が挙がる。冬は日本海側なのでずっと寒いのに、夏は大阪よりも暑い日が続くようである。今は馴染みの深い城崎温泉豊岡市らしいし、以前に行った出石の城下町も豊岡に属するようである。豊岡はその他にも、近年ではコウノトリで有名だし、昔からカバンの町としても知られている。豊岡は兵庫県日本海側の中核都市ということであろうが、その元々の豊岡の町へは行ったことがない。

  それとやはり日本海側の舞鶴も昔から海軍機関学校があったり、戦後の引き揚げ港として名を馳せ、よく知っている町の名前であるが、実際にはまだ行ったことがないので、やはりいつか行って見たいと思っていた。

 そんなところに、最近豊岡の少し東の久美浜から少し離れた所に京都の和久傳という料亭が作った「森の中の家」とかいう一画が出来ており、昨年からそこに安藤忠雄氏が設計し、安野光雅氏の絵のコレクションのある美術館が生まれたことを知り、それなら豊岡と舞鶴の間には京都丹後鉄道もあることだし、両方を一度に行ってみようと計画した。

 初めは日帰りで行こうかと考えたが、少し強行軍になるので、城崎温泉で一泊ということにしたが、調べてみると安野光雅の美術館が行く予定にしていた火曜日が休みだということを知り、逆回りにして、豊岡に先に行って、舞鶴で泊まることにした。

 往きは川西池田からJRで福知山経由の山陰線で豊岡に行った。ところが豊岡には地図を見ても別段行くべき目玉の箇所もないので、観光案内にあった「カバン ストリート」を目安に駅前通りを歩いた。もう10時ごろだったが、殆どの店はシャッターを下ろしたままで、開店準備をしている所も見当たらない。恐らくメインストリートだと思われる駅前通りなのに、殆ど通行人もいない。

 途中で見た市役所はレトロの建物を残したまま、両側にガラス張りのモダンな壁面を拵え、裏側に立派な新しいビルが覆いかぶさる様な造りになっており、市役所の正面の道の反対側には戦前の石造りのホテルが、小さいけれども今なお頑として営業を続けていた。昔は立派な通りだったことが偲ばれた。大分歩いた先に「カバンストリート」があったが、そこも同様にまだ開いている店が目立たなかったのでそのまま引き返した。

 仕方もないので豊岡見物は早々にして、京丹後鉄道に乗り、次のこうのとり駅を経て、その次の久美浜駅で下車した。二つ目なのに料金が高いなと思ったが、駅間の距離が長く、殆どの所が両側に木々の繋がる森の中を電車が走る感じであった。

 久美浜は小さな町だが、駅は堂々とした大きな和風の作りの建物でこの街のかっての権威を象徴しているようであった。しかし、今では本来の鉄道関係は通路だけで、あとの建物の中は他の目的に流用されているようであった。

 それは兎も角、駅前からバスに乗り、約15分で和久傳の「森の中の家」に着く。かって工業団地として開発したものの一部を買って始めたものらしく、開拓された更地に大勢の手と時間をかけて植樹をして作った様だが、今では木も育ち、「森の中の家」というキャッチフレーズにも適合した森が出来上がり、その中に工房の建物やレストラン、美術館などが存在していると行った所になっている。

 美術館は昨年出来たところらしいが、いかにも安藤忠雄氏設計らしい作りで、信州か何処かで見た安藤作の美術館とよく似た構造だなと思われた。安野雅光氏はもう92歳だそうだが。まだご健在でつい先日には美術館の開場一周年記念に来てられたそうである。

  そこで食事を済ませて後、駅に戻るのに定期バスが素通りしていってしまうトラブルがあって遅れたりしたが、久美浜へ戻って、昔のこの地の豪商の立派な屋敷を見学してから、京都丹後鉄道を乗り継いで舞鶴へ行った。

 丹後鉄道は久美浜から後の道のりも、大部分森の中ばかり走るような鉄道で、単線なのであちこちで対向電車の待ち合わせで長い時間がかかり、都会の人間をイライラさせた。合計すれば舞鶴に着くまでにゆうに30分以上は駅でじっと止まったっままということなので時間が掛かる筈である。

 お客は殆ど全てと言っても間違いのないぐらい、あちこちの高校生が通学に利用しているだけで、その他の乗客はまず見掛けなかったと言っても良いぐらいである。森の中をどこまでも続く細い単線線路の補修や維持だけでも大変だろうし、今のような高校生にだけ頼っている少ない乗客数ではいつまでやっていけるのだろうかと、人ごとながら心配しないではおれなかった。

 こうして豊岡から舞鶴まで何キロあるのか知らないが、3時間近くかかった勘定で、西舞鶴からさらにJRで東舞鶴へ出、もう暗くなた8時頃にようやくホテルへ着いた。

 翌日はたっぷり時間があるのでゆっくり起きて、舞鶴見物ということにしたが、朝の散歩に出て、そこらをぶらついたが、思ったより狭い場所で、観光すべき施設のあらましを回ったことになってしまった。ただ、自衛隊イージス艦だか知らないが、思いの外に大きな軍艦が二隻と駆逐艦ぐらいのものが何隻かが係留されているのが印象的であった。

 チェックアウト後はゆっくり東舞鶴駅まで歩き、バスで西舞鶴へ行った。西舞鶴では、駅の近くで思わぬ立派な海鮮丼を食べ、歩いて舞鶴のお城へ行き、城の建物や庭を見学してから、東屋のような休憩所でゆっくり休み、駅へ戻って西舞鶴駅の建物や近辺の様子を見てから、一旦東舞鶴まで戻り、そこから夕方の高速バスで大阪に帰った。

 それにしても今度の旅でもつくづく感じさせられたことは地方の過疎化、疲弊である。 久美浜の豪商屋敷の人も「裏日本はすっかり廃れてあきまへんわ」とこぼしていたが、両舞鶴駅とも、JRが民営化し、京丹後鉄道に分離される過程で整備されたのであろうと思われるが、両舞鶴ともに鉄道は全線高架路線になって、駅も新しく作り直され、駅舎はともにガラス張りのモダンで立派な建物になっている。どこに出しても恥ずかしくない外観は整っているが、問題はそれとはちぐはぐに利用客がいなくて閑散としていることであった。

 東舞鶴の駅では帰りのバスを待つために、ガラス張りの待合室に座って外を眺めていたが、そのすぐ前の駅前に芝生の広場があり、そこで十人ばかりの老人がゲートボールの競技をしているではないか。大阪駅でいえば、ヨドバシカメラの所が芝生の広場で、そこでゲートボールがされているようなもので、それにはびっくりさせられました。
 そう思って西舞鶴へ行って裏側の駅前広場へ出てみると、ここにも芝生の広い広場があり、こちらは誰もいませんでしたが、ベンチと子供の遊具が草の中で静かに誰かの来るのを待っているかのようでした。
 両舞鶴駅の立派な駅舎と無人の恐怖、国鉄から分離された小電鉄会社の行く末を考え、人通りのない寂れた街並みに、この国の地方の疲弊ぶりを感じないわけにはいきませんでした。今回も またもや、少子高齢化で人口減少のこの国の地方は今後どうなってしまうのだろうかという問題をひしひしと感じさせられた旅になりました。