最近、大相撲の地方巡業で舞鶴の市長が土俵上で挨拶をしている時に突然倒れ、皆が動転している時に、居合わせた女性が土俵に駆け上がり、心マッサージなどの救命措置をしたが、その時行司が驚いて「女性の方は土俵から降りてください」と言い、その場が落ち着いて女性が土俵から降りた後には、土俵に大量の清めの塩が撒かれて、新聞誌上でも問題になった事件があった。
相撲協会としては救急時の対応としては間違っていたとして謝罪したが、土俵は斎場で神聖なものであり、不浄な女性がそこに上がれば汚されるとされているので、行司が女性に声をかけて土俵から降りるように言ったのはとっさの判断で当然だったというような見解であった。
女性が土俵に上がることを忌避する態度は以前からのもので、わんぱく相撲で勝ち抜いてきた少女が優勝決定戦で土俵に上がれないために棄権させられた事件があったし、女性の府知事や政府高官の土俵上で挨拶もいつも断られてきている。
その線上で、この事件の後も、宝塚市長が土俵上から挨拶すると言ったのも断られており、静岡の富士山静岡場所では、これまでちびっこ相撲で女子児童も土俵に上がっていたのも今年から禁止するなど、相撲協会はむしろ上記の救命措置事件時の対応を正当化するかのごとくに、意識して女性を土俵上から締め出そうとしているようである。
相撲協会の主張によれば、相撲は古来神に捧げる行事であり、土俵は神聖な場所であり、不浄な女子に触れさせてはならないのが古来よりの伝統であり、男女同権より伝統を守ることが優先するとする態度のようである。
しかし、古代からの相撲の歴史によるという伝統と言われるものの根拠はいかにも曖昧なものであり、神社へ奉納すると謳った女相撲が行われている所もある。アマチュアでは、女性相撲の世界選手権大会というのもあり、今年は堺市で行われるそうである。それに、古来女人禁制とされた山岳や神社、仏閣などでも、殆どの場所が時代とともに女性にも門戸を開放してきている趨勢もある。
あらゆる人権が同一である社会では伝統が差別の根拠にはなりえないのではなかろうか。国技としての相撲が伝統を背負っており、それを尊重することは当然として良いが、伝統はその時代に沿って守られるものであり、時代に沿わない伝統が廃れていくのは歴史の必然ということも理解するべきであろう。
神事、芸事、スポーツ、興行など色々な要素を含んだ相撲の歴史は、時代時代の世の変化に適応し柔軟に対応して生き残ってきたものであり、いわゆる伝統だけに縋らず、広い視野を持って時代を読み、柔軟に対応していかねば国技としての大相撲も次の時代には生き残れなくなる恐れもあるのではなかろうか。