初詣で

 今年も元旦には朝テレビ体操を済ませた後、近くの三ヶ所の神社を廻って散歩してきた。戦後に無神論者になった私なので初詣というわけではないが、正月なのでいつもと違った所を散歩してみてはというところから、ここ何年かは元旦はこれが慣いになっている。

 いつもは女房と二人で行くのだが、今年は女房の膝が悪いので一人で廻った。やっぱり一人で行くよりは二人の方が話もできるし、経験を共有できるので楽しいが、これから先のことを考えると、一人で行くことにも慣れておいた方が良いのではなかろうか。一人だとすぐに足早になるし、考えが内面に向かいやすい。途中で先日テレビで見た良寛さんの話を思い出しながら、川の堤を飄々とした感じで歩いた。こうして人は少しづつ歳をとっていくのであろう。

 道順は昨年と同じで、初めはすぐ近くの呉服神社を覗いた。まだ暗くて寒く、自転車に乗ってきた中年のカップルが一組と歩いてきた若い男一人に出会っただけで、神社の人もまだ出ておらずしんとしていた。

 次いではそこから約15分、北へ歩いて五月山の麓の伊居太神社へ行く。最近知ったのだが、イイダと呼ぶのではなくイケダと呼ぶそうである。ここは百段ばかりの階段を上った上にあり鬱蒼とした林に囲まれていて神域らしく雰囲気は良いが、少し人里から離れた感じでいつも参詣客は少ないようだ。今年も昨年同様まだ私服のままの神主さんが一人で手持ち無沙汰に「とんど」のお守りをしているだけだった。ジョッギングの人が一人立ち寄ったぐらいであとは森閑としていた。

 そこから今度は反対の南方に向かい、少し離れた早苗の森と言われる所にある八坂神社へ向かった。この間に初日の出も上がり明るくなって来て人々が動き出す頃となり、こちらは参拝客も幾らか多く、おみくじなどの窓口も開いており、御神酒のサービスも始まっていた。焚き火の周りにも十人ばかりが屯しており、他にも参拝客が三々五々見られ、三社の中では一番賑わっていた。

 しかし、三社廻りは時刻が早いのでこうだが、昼間になると一番参拝客の多いのは駅に近い呉服神社ではなかろうか。昨年でも昼頃見ると呉服神社は参拝客でいっぱいだったので、今年も確かめてみると、昨年同様境内に入りきらず、外の道路にまで行列が続き、百メートルぐらいも伸びていた。駅の方を見ると更に次々と参拝客が来るのが見られた。特に若い人が多いのに驚かされた。

 日を改めて二日には朝早く大阪の住吉大社に様子を見に行った。ここは大阪で一番参拝客が多いとも言われる神社なので、まだ人の来ない間にと思って早く出掛けた。子供の時以来行ったことがないので正月の機会にと思い様子を見に行ったものである。太鼓橋を渡った記憶だけが残っていたが、昔は大鳥居をくぐってからもっと奥にあったような気がしたが、太鼓橋があまりに近いので驚かされた。

 さすがに市内の有名な神社だけあってまだ明けやらぬ頃にもかかわらず可成りな参拝客が見られたが、驚いたのは境内の外から中まで、どの方向からの参道にも出店が隙間なく並び、どれもまだ店を閉じていたが、参道は元旦の初詣客の多さを示すゴミだらけのことだった。丁度係りの人がそれを片付け掃除をしているところだったが、薄暗い朝の空気の中に薄汚れた色とりどりの露天の布の屋根や囲いがどこまでも並んでいるのが目立ち、行った時間が悪かったこともあるが通りはゴミだらけで、こんな汚い神社は初めて見る光景であった。

 神社もこの頃は商業主義に徹しないと生きて行けないのか、神域を厳かな雰囲気に保つことより経営重視で、極端にまで参道を露天商に貸し出し、本殿の賽銭で稼ぐだけでは足りず、おみくじ売り場ばかりをやたらに広げている。今回初めて知ったが子供用のおみくじまで売られていた。

 本殿前の初詣用の巨大な賽銭箱というより賽銭投げ入れ場所にはお札は皆無で硬貨も意外に少ないように感じられたが、昨夜のうちに一度片付け、今日来る人が賽銭を投げ入れやすいようにわざと幾らか賽銭を残したものを見たのだったかもしれない。

 そんなわけで住吉大社の印象は良くなかったが、呉服神社にしろ住吉大社にしろ参拝客の多くが若い人だったのが今年も特徴的であった。若い人が増えたのはここ数年のことのように思えるが、彼らは昔からのこの国の民衆の宗教心を受け継いでいるのであろうか。現生ご利益主義で、ただ正月だからという理由に受験や就職、安全、成功などの軽い祈願を兼ねて来る人が多いのであろうか、拝殿で拝んですぐにおみくじを引いて開けて見、それを木の枝に結んで終わりというパターンが多い。従って、正月にはどこの神社でも拝殿の近くにはおみくじの白い紙の花が咲いたような木が見られるものである。

  初詣に行く若い人が目立つようになってきたことは時代の趨勢で、宗教はそれぞれの人の自由なので、それについてとかく言うつもりはないが、この変化を社会現象として見る時、単なる先祖返りと言うより、最近の安倍政府の右翼政治の強引な進め方や、それを支える日本会議などの右翼勢力の隠然たる広がり、中産階級の縮小による社会階層の分裂、社会を覆う閉塞感などと考え合わせて、何か気持ちの悪さを感じさせられるのは私だけでしょうか