今年(2015年)を振り返って

 昔から「光陰矢の如し」などと言われているが、歳をとる程に年月の経つのも加速度的に速くなるようである。老人同士で話をすると皆がそう思っているようなので、あながち私だけの感じ方ではないと思われる。

 歳をとるにつれて生活が単調になり、、日々経験することがこれまでの繰り返しのようなことばかりになると、新たに感激するような新鮮な経験が乏しくなっていくのでそう感じるのかも知れないが、もう一つには、歳をとるにつれて動作も考えも緩慢になり能率が悪くなって一日に出来ることが限られてくるので、たちまち日が暮れて一日が短くなってしまうことも関係しているのかも知れない。

 それはともあれ、つい先日2015年の新年を迎え、米寿の祝いを貰い、ついこの間ミレニウムと言って騒いでいたのにもう15年も経ってしまったのかと思いながら、元旦に石清水八幡宮からの樟葉の街を歩いてきたような気がしていたのに、もうそれから一年経ってしまった。

 短かかった一年であったが、その間のことを思い出してみるといろいろなことがあった。中でも何といっても一番の出来事では、個人的なことでは8月の心筋梗塞である。

 自覚症状はただなんとなくしんどいぐらいだけだったが、数日前に軽い狭心症を思わせる症状があったので、自分で心筋梗塞ではないかと思いながら、それを確かめに住民健診をも兼ねて近くの医院へ歩いて行ったのが8月4日の朝であった。

 心電図で心筋梗塞を確かめられるや、あとは有無を言わさず、救急車に乗せられ循環器病研究センターへまっしぐら、到着して救急室へ運び込まれ、後はもう大きな組織のレールに乗せられたようなもの。忽ち「人」ではない「患者」にされて、有無を言わさず冠動脈造影などで調べられ、ステントを入れられ、入院させられてしまった。

 折角、それまで無病息災、長い間医者にかからないどころか、健康保険を利用したこともなかったのに、突然、いっぺんに病人にさせられ、「生権力」の虜になってしまった。

 しかし心筋梗塞でも私の場合には、冠動脈の完全閉塞といっても根元の太い所ではなく、少し末梢の所の閉塞で、それも長い時間かけて徐々に詰まってきたもののようで、その間に脇道の血管が発達して血流を補っていたようなので、完全に詰まっても脇道の血管で血液循環がある程度賄われていたので、症状も軽く、侵された心筋も少なくて済んだもののようであった。

 同じ心筋梗塞になるなら、かねがね思っていたようにもっと根元の血管が突然詰まってコロリと死ねば、「ピンピンコロリ」の理想だったのかもしれないが、どうも神サマがまだ早いと三途の川を渡らせてくれなかったようである。完全な「死に損ない」である。

 それでも、おかげでこれまで払うだけ払ってほとんど恩恵に預かっていなかった健康保険の元を少しは取り戻せたし、入院したおかげで否応なしに随分いろいろ調べられて、他の冠動脈や頚動脈、脳動脈、その他の全身の血管の動脈硬化の程度の軽いことや、高血圧、糖尿病、脂質異常症などもないことがわかり、当分は病気のことを気にしないでこれまで通りの生活を続けてよさそなことがわかり安心させられたのは儲けものだった。

 個人的なことで今年のトピックスのもう一つは、孫たちが今年は二度もアメリカから来てくれたことである。6月末に来た時には家族全員が揃って皆で茨城の弟の家を訪ね、笠間の稲荷や陶器の公園に行って焼き物の絵付けをしたり、東京をうろついたりしたものだった。

 その時には今度会えるのは来年の孫の卒業式にロスへ行く時だろうかと思っていたが、心筋梗塞のおかげかどうか知らないが、年末にまた揃って来てくれて、姉の方もそれに日本への出張を合わせてくれ、旦那まで来てくれたので、また家族全員が揃うことが出来た。

 平素はお互いに海を隔てて遥か遠くにいるのが、年に二度も家族が皆で会えたのは何よりの幸せであった。こんなことはこれから先もう無理だろうが、良い思い出を作ってくれたと感謝している。

 個人的なことを先に書いたが、今年の出来事で最大なことは何と言っても安倍内閣による憲法違反の安保関連の”戦争法案”の可決であり、社会の急速な右傾化である。今やあの戦前の嫌な時代へ逆戻りの感じである。ものの言えない閉塞感に満たされた昭和の時代、大政翼賛会政治が始まる前頃に似た機運が世の中に漂い初め、暗い時代への変わり目のように思える。ここを越えて進んでしまったらこの国は再び最早取り返しのつかない破滅にまた向かってしまう気がしてならない。

 ドイツは二度の破滅を経てようやく立ち直ったが、その轍を踏むかどうか、ここ数年でこの国の運命が決まってしまうのではなかろうか。

 それが解るよりこちらの命が短いことは確かであろうし、私の孫たちは幸か不幸か、皆が外国住まいなので、私にとってはこの国がどうなろうと直接には構わないかもしれないが、やっぱりそこの生まれ育ち、暮らしてきたこの国がどうなるかは気にならないではおれない。 いわゆる愛国心はなくても愛郷心は強い。やっぱり周囲の人やその子孫が幸せに暮らせる豊かで平和な社会を夢見ないではおれない。

 あの戦争の時代に育ち、海軍にまで行った私にとって、あの戦争は単なる記憶や歴史ではない。架空の栄光の惨めな崩壊、過酷な戦禍、国の裏切り、自己を全否定された敗戦、戦後の暗黒の虚無の世界を嫌という程知らされ、体験させられた者にとっては、周りの人々やその子供や孫たちが二度と同じような過酷な運命を背負わされることを想像するだけでも耐えられない。

 今の世はこのままでは危ない。なんとかして戦争だけはしないで済むようにして欲しいと言わないではおれない。