行列待ち

 年末にテレビで在日のいろいろな国からの外国人を集めて日本の習慣などのついて尋ねる番組があり、その中で日本人が何にでも行列を作って並んでいるのが奇異に感じられるようで、それについての感想が聞かれていた。外国人は並んで待つぐらいなら並ばなくても良い店に入るという人が多かったが、日本人は行列に並んで待つのを苦にしない人が多いようで、中には並ぶのが楽しみだという人までいて驚かされた。

 行列といえば私などはすぐに戦後の暗い時代に何を買うにもよく行列を作ったことを思い出す。珍しいもの貴重なものは行列に並ばなければ手に入らなかったので、行列を見ると何のための行列か聞きたくなったし、何の行列かわからないのに、並べば何か良いことがるのだろうと思って並ぶ人さえいた時代であった。

 ところがそれから六、七十年も経って、また最近はどこへ行っても行列が流行っているようである。梅田の阪急の食堂街などへ昼にでも行けばどの店もどの店も行列を作っていていて簡単に入れる店がなくて困ることが多い。長い間待って食べるなど特別に何かの目的でもなければ時間の無駄だし、せっかちな質の私には耐えられない。少々まずくても我慢して待たないでも入れる店に行くことになる。

 大勢の人が並んでいるときっと評判の良い店で美味しいのだろうと思うかもしれないが、必ずしもそうではない。以前に郊外のショッピングセンターの食堂街でどこが良いのかわからなかったので人がたくさん並んでいる店を選んだが、味がイマイチでがっかりしたことがあった。

 ところがこの頃はインターネットで簡単に調べられるので新たに開店した食堂街のような所でも、開店早々から長い行列ができている店があり驚かされる。どうもこの頃の若い人は現地へ来てから選ぶのでなく、あらかじめ評判を調べてやって来て並んで順番を待つ人が多いようである。宣伝や口コミに乗せられやすいので当たりはずれが多いのではなかろうか。

 そういえば新しいお菓子やさんなどで、開店早々は長い行列が出来ているが、二、三ケ月も経つと行列がなくなってしまう店もよく見かけた。その時代の流行なども関係するのであろう。一頃はベルギーのワッフルに人が並んでいたし、その時により堂島ケーキだとか阪急梅田駅のポテトケーキ、どこやらのバウムクーヘンとか、栄枯盛衰も激しい。

 最近ではグリコの上等なポッキーのやバトンドールやポテトチップスの高級版のグランドカルビーなどのために朝早くからデパートの入り口に並んだいる人を見かける。これらは案外長期にわたって行列を続けているが、普通のポッキーやポテトチップストさして違わず、何のためにそんなに並ぶのか不思議にも思われる。 

 大衆は巧みな宣伝に踊らされて欺かれ、貴重な時間まで奪われて、造られた需要を強制させられているような気がしてならない。 レストランや菓子屋以外でも、ことに都会では人が多いためにどこでも何のためにでも行列を作りやすいのを巧みに利用されているのであろう。

 私が先日見た行列はこうであった。なんばの高島屋の店の外から直接乗れるエレベータの前に行列ができており整理人までが立っている。七階まで直通と書いたエレベータである。七階にはギャラリーがあるので何か特別な催し物でもしてるのかと一瞬思ったが、正月早々そのような特別な展覧会などはないはず。

 わからないまま通り過ぎて地下鉄に乗ろうと思って地下まで降りて改札口の方へ行こうとしたら、暗い地下道の隅にも多くの人が厚いコートを着たまま大勢が列を作って床に座り込んでいるのに出くわした。見ればマルイデパートの地下の出入り口である。

 やっと分かったが、今日は一月二日。おそらく福袋があるのでそれ目当てで店の開くのを待っていたのではなかろうか。まだ午前7時であった。 デパートの開店時間は10時のはずだからまだ3時間もある。そこまで我慢して待って得られる福袋にそれだけの価値があるのだろうかと疑問に思った。その人の価値観による選択だから他人がとやかく言うことではないが、暇の人もいるものだと思わざるをえなかった。あの寒い暗がりでは待っている間に本も読めやしない筈だ。

 電車やバスに乗る時も、切符を買う時も、空港でも、銀行でお金を引き出すときも、公衆トイレでも、都会ではどこでも人が多いので並んで順番を待つことが多いのは仕方がない。人々が自然に行列を作って順番を待つことは順不同で先を争って早いもの順に何かを奪い合うよりずっといい。昔は電車やバスに乗るのにも我先にと扉に殺到し降りる客が住むのも待たずに乗り込む人も多かったが、そういう時代は完全に過去のものになった。

 特に日本では誰に言われなくても順番に何かをするような所では自然に行列を作って並ぶのが普通になっている。良いことではあるが、あまり従順すぎるのではないかという気がしないでもない。他に選択肢があるような時にまで並んで時間を費やすのもその人の自由だが、私は少しでも他に選択肢があるななら行列は避けたい。少なくとも生活に不可欠なものは並ばなくても手に入るようにすることは政治の責任であろう。

 行列が戦後の暗い時代に結びつくこともあるが、行列に費やす時間と得られる価値との兼ね合いを考えないではおれない。冒頭のテレビの番組では日本人で並ぶのが好きだという人までいたが、餌を目の前に見せられてそれを順番が来るまで待たされるのはできるだけ短時間にしてもらいたいものである。それが無理なら他の選択肢を選びたいと思うのは決して私だけではなかろう。