「折々のことば」より

 近頃、朝日新聞の一面に載っている鷲田清一氏による「折々の言葉」というコラムが面白い。

 かって長らく続いた大岡信氏の「折々のうた」に続くもので、もう今日で238回目となる。100回目までを振り返って、興味を惹かれた言葉のアンケートも実施されたようで、その結果も今朝ほどの新聞に載っていた。

「時は金なり」というベンジャミン・フランクリンの言葉を選んだ人が最も多かったそうである。普通は「時間を無駄にするな」という勤勉の勧めのように取られているが、鷲田氏の解説で「時は人に与えるものだ」と考えれば、「気前良くなれ」という意味にも取れるという解釈も面白かった。

 鷲田氏自身が選ばれた行軍する兵隊をアリの行列のように描いた浜田知明さんの「兵隊は地図を見たことがありません」というのは軍隊の本質をついたきつい言葉でなるほどと合点した。

 昨日、今日の「ことば」も惹かれる言葉であった。昨日のは夭折した山田かまち少年の言葉で「明日17になる。逃げつづけて17年になる。」というもので身につまされた。自分の過去に当てはめてみると、ピタリと符号するようで、恐ろしささえ感じさせらた。

 私の場合、ちょうど敗戦の時が17歳だった。山田少年と同じようにそれまで逃げつづけた人生。その最後に逃げて行ったのが海軍兵学校だったが、そこでとうとう戦争に負けて海軍そのものがなくなって逃げ場さえなくなり、虚無の世界のどん底に突き落とされてしまったのが私の17歳であったからである。

 また今日の「ことば」は村上龍氏の小説からのもののようで、「この国には何でもある。本当に色々なものがあります。だが、希望だけがない」というものだった。いうまでもなく、現在のこの国の状態の隠喩であろうが、全く不安な気持ちを伴って同感させられることばである。

 今後もこの欄は続くであろうが、多くのことばを聞くことは楽しいものである。ぜひもっと色々なことばを聞かせ続けて欲しいものである。