「国敗れて山河あり」とは有名な杜甫の「春望」の詩の書き出しである。この五言律詩は長安の賊中にあって春の眺めを述べたもので、以下のような文と大意である。
国破山河在 都は滅茶苦茶になってしまったが山や河は昔のままであり、
城春草木深 長安には春が訪れて草や木が深々と生い茂っている。
感時花濺涙 世の中の有様に心を動かされて花を観ても涙をはらはらと零し、
恨別鳥驚心 家族との別れを惜しんでは鳥の声を聞いても心を傷まさせている
烽火連三月 打ち続く狼煙火は三月になってもまだ已もうとせず、
家書抵万金 家族からの便りは万金にも相当するほどに思われる。
白頭掻更短 白髪頭は掻きむしるほどに抜けまさり、
渾欲不勝簪 まったくもって簪を受け留めるのにも耐え兼ねそうだ。
敗戦直後に海軍から復員して疎開先に赤坂村に帰った時、戦争もない焼け跡も見ない静かな佇まいの野山を見てこの詩を思い出し、「国敗れて山河あり」とは成る程こういうことを言うのだなあと感じたことを今も覚えている。
その時の感じでは国は敗れてしまったのに自然は微動だにせず同じように残っている。この自然もすっかり潰れてしまえ。この世界などなくなってしまえ。自分という存在の支えとなっていた国がなくなったのに自然がそのまま残っていることになんとも言えない不協和、腹立たしさを感じるとともに、反面、やはり人の世に比べた自然の包容力、懐かしさ偉大さに何か癒されるアンチノミーの感じであった。
それからすでに七十年、私も歳を取ったし、世の中もすっかり変わり、自然の外観までもが変化して、この詩もいつしか殆ど顧みられることもなかった。
ところが最近中国の人が書いている文章を読んでいると、この詩を引き合いに出しているところがあり、この詩の受け取り方の違いに驚かされた。もともと中国で作られた詩であるが、その感じ取り方は国により時代によって変わってくるもののようである。
その人の話はこうである。その人が講演した後、日本の若者が中国の若者のように我先にと質問しないことは別にしても、中国の若者が成功のポイントや失敗の教訓などの個人へのアドバイスを求めるのに対して、日本の若者の多くは組織のノウハウや会社の在り方を聞いてくることが多いという。
「そんな会社をどう変えればいいか」とか、「わが社の手本になるような会社を紹介してほしい」とかいったものが多く、そういった傾向は個人よりも組織やグループを重視する日本の教育に根差しているようだという。
若者には会社や国家のことより、自分がどうやって自分の給料を稼ぎ、僅かでも納税するかが何よりも重要なのではなかろうか。大きな組織をどう改革すべきかを心配するよりも、その大きな組織が崩壊しても、自分が裏切られても、自分が生きていける生存力を身につけることが先であろう。
組織が倒れても強い個人が居ればすぐ新しい組織が生れる。そこで「国破れて山河あり」という言葉が出てくるのだが、国は組織、山河は個人というのである。成る程、この句はそんな読み方もあるのだ。国が破れても山河に散らばる個人は残るのだから、また違った組織を作って返り咲けば良いというのである。
そんなしたたかな受け取り方も出来るものだとびっくりさせられた次第である。