フィリピンの人の見た日本

 朝日新聞の2月27日のオピニオン欄にフィリピンの作家F・ショニール・ホセさんのインタビュー記事がのっていた。1924年生まれなので私と同様、戦争を体験されている世代である。

 日本ではフィリピンでの戦いの様子などあまり詳しく報じられてこなかったが、はじめ日本軍がアメリカを追い出し、後にアメリカが戻ってきて日本軍が敗走するなど、外国軍隊に国土を荒らされ続けた結果、マニラは廃墟となり、111万人のフィッリピン人、当時の国民の16人に1人が亡くなり、アジアで最も大きな惨禍を受けた国となったのであるが、そのようなことを日本人はあまり知らないのではなかろうか。

 フィリピンで戦没した52万の日本人については多くの戦記や敗走記もあり、戦後に

フィリピンに多くの日本人の戦没者慰霊碑も建てられたが、遺族の高齢化でかえりみられなくなった碑も多いそうだが、フィッリピン人の死を悼む碑は多くないそうである。

 ホセさんは日本兵の残虐さを忘れてはいないが、明治以来の日本の発展や日本の文化、職人気質や優秀な民芸品などを褒め、多くの日本人作家などとの交流を通じ、日本の文化や文学についてもそれなりの評価をしておられる。

 その上で彼の日本についての印象で興味を惹かれたのは、やはり「日本人は雰囲気に流されやすいことを危惧するとともに、日本では直面する問題についての開かれた議論が少ない。」という点である。議論がないばかりでなく、「メディアも支配層への批判をためらいがちだという。また日本は島国で移民を受け入れず、、自分たちは独特だと思い込む自己陶酔がある」とも言われている。

 そして、日本人は不可解な存在だと結論ずける。「変化へ向けてムードが変わると、全てを受け入れる。国民的雰囲気とでもいうか。しかも一夜にして変わることがある、常に理性に基づいて行動するわけではないことは41年の開戦で明らかだ。国粋主義的になれば危ない。第二次世界大戦の黒幕のような扇動者が出てきたら、簡単に説得されてしまうのではないか。平和を求める雰囲気が続くことを願う」と。

 傾聴に値する言葉で、的確に日本を捉えてられることに感服する。今の日本の現状は国内からだけでなく、国外からも危なっかしく見られていることがよくわかる。

この国の将来が心配である。