若い世代が羨ましい

 長く生きていると世の中も随分変わってくるものである。私の若い頃はあの戦争に世界中の殆どの人が巻き込まれ、多くの人が死に、生き残った人たちも大きな衝撃を受け、無惨な生活を経験させられたのであった。後に生活が落ち着いてから振り返ってみても、特別な時代を生きてきたのだなと感じていたが、その後、平和な時代が続いて来ても、世の中は時代とともに変わっていくものである。

 戦後の日本は、最初は飢えた人々の民主主義の希望の時代が少しだけあって、すぐに朝鮮戦争ベトナム戦争で、高度成長の時代となり、人々は会社人間となって無性に働いて復興に協力し、輝かしい大阪万博などを経て、世紀末にはJAPAN as No.1と言われるまでになった。

 その間、人々は会社人間、働き蜂と言われるぐらい会社のために、会社にしがみついて働き、生活は豊かになったが、過労死などが増えるぐらいに、自分や家族の犠牲の上に成り立った生活で、日々のゆとりのないままに一生を過ごしてしまった人も多かった。

 しかし、それも束の間、世紀末にはバブルが崩壊し、その後は今日に至るまで、30年間も不況が続いたままになっている。それに伴い、仕事のない人、その日の生活の困難な人なども増え、会社人間を諦めざるを得ないことも多くなり、いつしか、人々の生活感覚も変わり、積極的にも消極的にも、貧しくとも自分のやりたいことをやろうという人も増えてきた。

 世は不況でも、昭和の初めの不況時代と異なり、高度成長を経験した後の不況であり、世の複雑さは増し、人々の教育程度も高く、生活は豊かでなくとも、人々が会社に頼らなくても生きていける時代がやってきたとも言える。私から見ると、良い時代になった。自分のやりたいことで生きていける世の中になったと思いたくなる。

 昔は生きて行くためには、家族のために生計を立てるために、嫌な仕事でも我慢して一生も続けなければならなかった。現在では経済的な成功など考えず、一人で生計を立て、自分のしたいことをして生きていけることが可能になった。

 好きなことをすることが第一で、それに合わせて生活を考える。そのためには、結婚しない、子供を作らない。贅沢を避け、一人で生きることを考えれば、好きな所へ行って、好きなことをしながら住むことも可能である。

 音楽や絵画その他の趣味に打ち込んで、それで生きていくことも出来る。スポーツ、ボランティアその他の社会活動に生きがいを見出す人もいる。世の中の主流に乗らないでも、生きていくことが可能となっているようである。

 私の周辺だけを見ても、そう多くない次世代の甥や姪の中にも、このように好きな様に生きている人が何人かいる。

 一人は、音楽が好きでドラム奏者となり、トリオを組んで日本中あちこち演奏旅行をして歩き、ドラム教室や臨時教員などで生計を立て、結婚して子供も二人育てている甥である。

 また一人は、小笠原へ行く船会社に就職したが、小笠原でダイビングを覚えて、島の生活に病みつきになり、会社を辞めて小笠原に定住してしまっている。

 また、3人目は女性で、カナダへワーキィング・ホリデイの様な形で行ったきり、始めはツアーのガイドなどをしていたが、そのうちに学校へ行って技術を見につけ、カナダの病院で働き続けている。

 それぞれに外見しかわからないので、実際には色々問題も抱え、当然色々な苦労もあるだろうが、いずれも会社等の組織に頼らず、自分の意思と力で個人の生活をエンジョイしているようで、それで生きて行っているのは素晴らしいことである。

 我々の世代の人間には到底考えられなかった羨ましいことである。彼らを見ていると、世界は今なお多くの問題を抱えており、人々が生きていくことは大変であるが、良い世の中になったものだなあと思わずにはおれない。

この国の怖さ

 コロナもようやくある程度は落ち着いて来て、政府もwith Coronaなどと言い出し、旅行の補助なども始まっているようだが、まだ街では殆どの人がマスク姿のままである。

 アメリカにいる孫たちのinstagramなど見ていると、もう早くからマスクなしでお互いにくっついて喋ったり、叫んだりしていて、誰一人マスクをしている人などいない。アメリカの方がもう集団免疫が出来上がってしまっているのかも知れないが、あれで本当に大丈夫なのかと心配するのだが、そんな声は届きそうにもない。

 翻って日本を見ると、我が家の近くでも、駅へ向かう通勤客を初め、道行く人は一人残らずと言って良いぐらい皆マスクを着用している、日本人は真面目に世間の約束事を守り過ぎるもののようである。先日新聞に、子供が祖母に「どうしてみんなマスクをするの」と尋ねたところ、「マスクをしていないと皆に怒られるからよ」と答えたという文が載っていたのが象徴的であった。

 この国では、昔からの伝統的な「むら社会」が今なお残っており、世間体というものが重んじられる。隣近所の人たちの付き合いがなくなっても、会社や地域の目に見えない「世間様」は今なお隠然たる影響力を持っているようで、世間の風潮に逆らっては生き難く、決まったことはちゃんと守ることが今も美徳とされているようである。

 言い換えれば、多様性に乏しいことにもなる。学校でも、いつまでも制服があり、会社の面接を受ける新卒の学生たちが皆同じ服装をしているのも日本だけではなかろうか。周囲に合わせた方が良いというのが日本の人々の行動様式だとさえ言えそうである。

 多勢の在り方から外れた者への「いじめ」もそういったところから起こっている。一般社会や政治の分野でさえ、多様性の尊重と言いながら、変わり者が弾き出され相手にされない風潮が今なお強い。政府の右翼的政策にも、国民が次第に慣らされて、それが当たり前となり、反対する方がおかしくて、大勢に順応するのが良いという傾向が強い。

 かって、そういった世間の風潮の掲句が果てがあの無謀な戦争、破滅に繋がったという反省もすっかり忘れられたのか、今やアメリカに言われるままに、防衛予算は2%以上にと軍拡を進め、敵に対して先制攻撃さえ容認しようとしている。

 外交を蔑ろにして、アメリカに追随し、国の周辺の危機を煽り、世論を誘導して軍備を拡張し、戦争の出来る国にしていこうとしている政策はあまりにも見え透いている。同調性の強い世論が形成され易いだけに、近未来のこの国の命運を心配せざるを得ない。

 白泉の”戦争が廊下の端に立っている”という句が再び現実味を帯びて感じられるようになってきたこの頃である。誰かが”新しい戦前”とも言った。

近くの神社

 自宅の近くに呉服(くれは)神社という神社がある。条理のように並んだ道筋の中に一本だけ斜めの道があって、その終点が神社になっている。昔は広い田圃の中の鎮守の森といった格好だったのであろうが、もう明治時代に田圃が埋めめられて、宅地造成がなされ、今ではすっかり住宅に囲まれてしまっている。神社はの森も僅かに名残を残しているが、神域も狭くなり、今ではあまり目立たなくなってしまっている。

 戦後は御多分に洩れず、他の神社同様寂れかけた時期もあったが、近年はまた元気を取り戻してきたのか、初詣などでは、道路に溢れてまで参詣客が長い行列を作るし。十日恵比寿には出店が駅まで続き、道一杯に人が溢れている。それらの他にも、季節に応じて、茅の輪潜りや七五三詣などでも人を集め、幼稚園児のお神輿行列なども行われているようである。

 また、近年一般に神社にお参りする人も増えたのか、平素でも氏子や近隣の人達なのであろうか、お参りする人もボツボツ見かける。通りがかりの人も、神社に通じる斜めの道の入り口で立ち止まり、神社に向かって一礼してから通り過ぎる人も多い。たまたま、私がそこらを通ると、神社を背にしているこちらに向かって頭を下げているので、まるで私が拝まれているような格好になることもある。

 何せ、私のような無神論者には分からないが、日本人の神社に対する行動規範は特有である。神社を深く敬って心からの信仰でお祈りするというものではなく、周囲の人が皆するから、それに合わせておいた方が無難であろうとでも言った感じで行動している人が多い様である。お参りする時も、現実の成功祈願や厄払いなどと言った実利の願望で、昔からの様式を真似て、周りの人と似たような仕草をしているだけのように見える。

 神社にお参りに行く時も、昔ながらの様式を守って、鳥居をくぐって一礼し、拝殿で二礼二拍一礼礼で拝み、鳥居を潜って神社を出る前にもう一度礼をするのが普通のお参りの仕方のようである。それ以外にも、神社の前を通る時には、神社へ入らなくとも一礼して通ったり、神社の近くを通る時にも神社に向かって頭を下げる人もいる。

 それらの行動の違いは、どうも信心の深さとは関係なく、何処かで覚えた仕来たりのようなもので、単に習慣としてしているに過ぎない人が多いような気がする。深い信仰心から、真剣にお祈りしているような人は先ず見ない。いるのは、合格祈願のような実利の願い事で、殆どは習慣として深い考えもなく、反射的に頭を下げて挨拶しているようなものではなかろうか。

 一神教のように絶対の神に命をかけてお祈りをするような宗教は恐ろしいが、このような日本人の神や仏に対する関係はどのように評したら良いものであろうか。信仰というより、周囲の人たちに同調し」ているだけのような気がしてならない。

 

 

 

 

パンプキンの想い

 

 女房が友人からパンプキンを貰ってきた。スープにすると良いとかであったが、細長いパンプキンには根本の所に小さな傷のような印がついており、その模様が面白そうなので、これはきっと私が喜ぶだろうと思って、貰ってきたそうである。

 確かに、根本近くに何か茶色い傷跡のようなものが2〜3ついており、よく見ると何か動物のようにも見える。私がこれまで、道端で見つけた半ば剥げ落ちた白線や、敷石、何処かで見かけた岩や壁のシミなど、主として崩れ行く姿などが作る人の形などを見ては、写真に撮って発表したりして来ているので、女房が気を利かせて貰って来てくれたものである。

 もう写真のグループも解散し、歳も取り、コロナの影響もあって、発表の機会もなくなっているが、折角貰ったパンプキンなので、食べる前に見せて貰い、動物のように見えるシミの模様などをカメラに収めた。それが上に掲げた写真である。

 パンプキンをじっと眺めていると、パンプキンは何も言わないが、静かな沈黙の中で、これら模様を通じて、何かの想いを訴えかけているような気もしてくる。

 動物らしきものは、どういう動物か分からないが、むしろ架空のものであろう。パンプキンの精であろうか。根っこの部分も、人が胸に手を当てた上半身像にも見えるし、もう一つも女性の座像に見えなくもない。

 こんなのを見つけると、つい写真の対象にしてしまいたくなるのである。子供の頃からの「てんご」の続きである。アートに繋がるものであっても、技術を伴うものではないので、アートとは言えず、プレアートと読んでいる。

 こんなことが出来るのも歳をとったおかげである。これも老後の楽しみの一つである。

 

老人にはついて行けないないIT化

 最近は何処へいってもいわゆるIT化が進んでいる。スーパーへ行ってもコンビニへ行ってもセルフレジとかで、商品のバーコードを機械に読み取らせ、お金を機械に入れて釣り銭を取り、出てきたレシートをとって、一件落着ということになる。ところが場所によって機械や手順が微妙に違っていることが多い。

 これまで、レジの人が対面だったので、選んだ商品さえ出せば、あとは全てやってくれたので、お金だけ出せばよかったが、機械は何も言ってくれないので、客が全て操作しなければならない。操作を教えてもくれないし、操作を間違えれば、黙って相手をしてくれないので、取り付く島もない。折角、買い物をしてやったのに、おし黙ったまま、支払おうというのまで拒否する。

 こちらが老人なので、大抵は近くにいる店員さんがやって来て助けてくれるのでことが進むが、人が誰もいなくなると、商品は買ったものの支払いが出来ず、黙って帰るわけにも行かず、そこで立ち往生してしまうことになり兼ねない。

 慣れた人にとっては何でもないことだが、機械の扱いに弱く、慣れない老人には厄介な関所となる。店により、店の種類によって、レジも微妙に違うから困る。それに、最近はカードでの支払いや、カードを使えば割引があるとか、ポイントがつくとか、色々支払いもややこしい。色々なカードがあり、どれが何処で使えるのかも複雑である。こちらの財布に入ったカードを見て、これが使えますと教えてくれることもある。そうかと思えば、使えるはずのカードが使えないこともあってややこしい。

 それもどんどん変わっていくから、ついていくのが大変である。挙げ句の果てには、こちらが画面やキーボードに打ち込まなければならないこともある。ぽちぽちとキーを押しては間違い、またやり直し。そんな所で次にパスワードは?などと言われても、こちらはこの場合は、どのパスワードだったのか、容易に思い出せない。当てすっぽうに思いついたパスワードを入れたら違っていて、それ以上に進めない。

 買い物をするだけでも、老人は生きにくい。店の人が見るに見かねて、代わりに入力してくれるのを見ていると、何と素速くキーが打てることか、忽ち入力が済んで用が終わる。最早この年では練習しても、あんなに速くキーを叩けるはずもない。

 スマホで送金、買いものもスマホ。支払いもスマホの時代である。Lineに登録すれば割引があり、ポイントで飲み物のサービスがある。図書館で本を借りるのも、予約本の受け取りをするのも機械でする。老人の知らない所で色々なことがどんどん進んでいる。

 老人は折角バーコードを知っても、繋がった後、そこから先どうするのかわからない。文字の入力を一本指でしているようでは、どうして良いか分かっても、ついて行けない。

 それでも、九十五歳の当方はもうやがていなくなるだろうから、心配することもなかろうが、今後どうなっていくことだろう。小学校からIT授業が始まり、すべての子どもがプログラムを組むことさえ出来るようになるらしい。ITが正式学科となり、プログラミングが出来なければ、高校も卒業出来ないことになるようである。ITが出来ないと、まともな仕事にもつけないことになるであろう。

 会社でも、リスキリングと言って、従業員のIT教育をするらしい。世の中の人が皆ITを自由に操作できる様になると、各自が自分に都合の良いプログラムを作り、それを用いて物事を動かすようになっていけば、どんな世界が広がるのだろうか。もうとても老人にはついていけない世の中になりそうである。それまでに消えた方が良さそうである。

 

 

 

二年ぶりの雪景色

 今年は、一月末に十年に一度とかのに寒波がやってきて、全国的に寒くなり、天気が荒れて雪も多く、飛行機の運休は当然としても、あちこちの高速道路での車の渋滞や、列車の運休などが起こり、雪のために動けなくなった電車に多くの乗客が長時間閉じ込められた事故なども起こった。

 テレビで大量の雪かきをしている様子や、雪の中を寒そうに仕事にに出掛ける人達の姿を見ると、雪国は大変だなあと思い。雪国の一人暮らしの年寄りなどはどうしてやり過ごしているのだろうか人ごとながら心配になる。

 それを思うと、大阪などは有り難い。寒さも酷くないし、雪も滅多に降らない。降っても北日本や北陸などとは比べものにならない。滅多に降らないものだから、雪国の人には申し訳ないが、逆に冬の風物詩として、一冬に一度や二度は雪景色を見せて欲しいものだと期待することにもなる。

 子供の頃は大阪でももっと雪があったように思う。小学校の2〜3年頃、雪の降っている校庭を走っている時に、左の中指の霜焼けが破れ、その傷跡が大人になっても長く残っていたし、雪合戦をしたり、雪だるまを作って遊んだ記憶もあるので、もう少し雪が多かったに違いない。

 ところが、地球温暖化のせいもあるのか、近年は雪は益々少なくなり、一冬に一度雪景色が見られるだけと言ったぐらいにになってしまっている。我が家で雪が積もった記憶は、今29歳になるアメリカの孫が、まだ2〜3歳の頃、家に来ている時に雪が積もって、雪だるまを作ったのが最後だったのではなかろうか。

 その後は、毎冬1−2度は雪が降っても、積もる程にはならず、うっすら雪を被った景色をカメラに収めるぐらいの年が続いてきた。そして、昨年はとうとう一度も雪景色を見ることなく冬が終わってしまった。

 昨年が雪がなかったので、今年こそは、一度や二度は雪景色を見たいものだと期待していたところに、今回のの寒波襲来である。初めの朝は窓を開けても雪はなし、例年の如く空振りであった。今年もダメかなと諦めかけてたが、テレビが続いて低気圧を伴った寒気到来という。

 次の日の朝は、どんよりとした雪空で明け、そのうちにさらさらとした雪が降るのが見られる。これなら積もりそうだと時間の経つのを待つと、やがて屋根や木の上が白くなり始める。これなら少しは積もるだろうと、早速写真を撮ったりして、時の経つのを待っていたが、そのうちに降る雪が大きくべっとりとした雪に変わってきてしまい。白い世界も束の間、やがて雪も止み、折角積りかけた雪も溶けていってしまった。

 それでもわずかに雪を被った写真も撮れたし、これで良しとせねばなるまい。まだ冬の終わりまで間があるし、なんとかもう一度ぐらい雪景色を見せてくれないものかと思いつつ諦めていた。テレビでは、次の夜再び寒気が来るとは言っていたが、もう期待もせずに寝た。ところが、朝窓を開けてみると、今度の方が前日よりもいくらか立派な雪景色ではないか。神様がおまけをくれたようであった。

 この雪も陽が登り、気温が上昇するとともに消えてしまったが、ここらでは、これぐらいで良しとしなければならないであろう。もう一度ぐらい、おまけがあると有り難いところだが、昨年の雪のなかった冬を思えば、有り難かったと思うべきであろう。

 

老人の死より経済活性化

 コロナが始まってから、もう3年を過ぎたが、依然として感染は収まらず、第8波となり、新たなXX B1・5などの新種も加わり、全国的に流行はなお収まる気配がない。

 ただ感染力は強いが、ワクチンや集団免疫などもあって、感染は広く拡がっているが、若い世代では重症者は少なく、重症者や死者は高齢者層に集中してきているようである。

 日本だけでなく、世界的な傾向らしい。医療機関の負担は相変わらず大きいが、社会的に極端な隔離政策や接触制限などは緩められ、経済活動の再活性化に力が入れられるようになって来ている。

 それに合わせて日本政府も、5月から感染症法上、コロナを今の第2類から第5類に変更し、強制的な隔離や接触予防、加療の公的制度を廃止し、インフルエンザ並みの対応に変更するようである。

 しかし、経済の再建を急ぐあまりに、急いで制限を緩めると、感染の再燃を起こしかねないし、更にはコロナがもう終わったかの如き印象を与え、人々の隔離や予防意識を緩めることにもなり、感染を助長することになることも考えられる。

 まだ医療の現場は大変なようだし、感染者の数も多く、軽症化したとはいえ、重症者や死者は、抵抗力の弱い持病を持った高齢者に多いと言われている。いずれは5類に変更するにしても、その時期がまだ早過ぎるのではなかろうか。段階的に進めることになっているようだが、老人や弱者に皺寄せが行かないようにして貰いたいものである。

 少子高齢化の時代で、高齢者の増加に対する社会保障の財源が問題になっているし、経済的に追い詰められている者の多い若年層からは、高齢者に冷たい目線が送られているこの頃でもある。中には今や若年層は社会のマイノリティである。「老人は集団自決しろ」などとの過激な発言も飛び出し、それがある程度の支持を得ているようでもある。敬老の精神はもはや過去のものとなったのであろうか。

 老人の社会支配(老害)に反抗したい若者の気持ちもよく分かる。少子高齢化の時代には、それを汲んで、密かにコロナで老人が多く死んでくれた方が良いと思う人がいても不思議ではない。

 それらを考慮すれば、早くコロナ対策の枠を緩め、経済活動を盛んににして、経済が復活すれば、この際、老人に犠牲になって貰っても良いのではないかという発想が出てきても不思議ではないかも知れない。

 それに乗せられて、コロナ対策が感染症法上の2塁から5類に移され、感染の再燃で老人が少々死んでも、若者が難を逃れ、経済が復活すれば良いのではないかとの考えが主流になってもおかしくないかも・・・。どんな社会がどんな結論を出すのかが問われる。こうして老人は体よく淘汰されることのなるのかも知れない。

 朝日新聞の俳句欄にも、おそらく老人からのものであろう下記のような句も出ていた。

     今様の楢山節考5類かな   青森県 加賀昭人  2023.01.25

     年寄りは死んでもよいのあからさま  朝広三猫子 2023.01.20