老人の死より経済活性化

 コロナが始まってから、もう3年を過ぎたが、依然として感染は収まらず、第8波となり、新たなXX B1・5などの新種も加わり、全国的に流行はなお収まる気配がない。

 ただ感染力は強いが、ワクチンや集団免疫などもあって、感染は広く拡がっているが、若い世代では重症者は少なく、重症者や死者は高齢者層に集中してきているようである。

 日本だけでなく、世界的な傾向らしい。医療機関の負担は相変わらず大きいが、社会的に極端な隔離政策や接触制限などは緩められ、経済活動の再活性化に力が入れられるようになって来ている。

 それに合わせて日本政府も、5月から感染症法上、コロナを今の第2類から第5類に変更し、強制的な隔離や接触予防、加療の公的制度を廃止し、インフルエンザ並みの対応に変更するようである。

 しかし、経済の再建を急ぐあまりに、急いで制限を緩めると、感染の再燃を起こしかねないし、更にはコロナがもう終わったかの如き印象を与え、人々の隔離や予防意識を緩めることにもなり、感染を助長することになることも考えられる。

 まだ医療の現場は大変なようだし、感染者の数も多く、軽症化したとはいえ、重症者や死者は、抵抗力の弱い持病を持った高齢者に多いと言われている。いずれは5類に変更するにしても、その時期がまだ早過ぎるのではなかろうか。段階的に進めることになっているようだが、老人や弱者に皺寄せが行かないようにして貰いたいものである。

 少子高齢化の時代で、高齢者の増加に対する社会保障の財源が問題になっているし、経済的に追い詰められている者の多い若年層からは、高齢者に冷たい目線が送られているこの頃でもある。中には今や若年層は社会のマイノリティである。「老人は集団自決しろ」などとの過激な発言も飛び出し、それがある程度の支持を得ているようでもある。敬老の精神はもはや過去のものとなったのであろうか。

 老人の社会支配(老害)に反抗したい若者の気持ちもよく分かる。少子高齢化の時代には、それを汲んで、密かにコロナで老人が多く死んでくれた方が良いと思う人がいても不思議ではない。

 それらを考慮すれば、早くコロナ対策の枠を緩め、経済活動を盛んににして、経済が復活すれば、この際、老人に犠牲になって貰っても良いのではないかという発想が出てきても不思議ではないかも知れない。

 それに乗せられて、コロナ対策が感染症法上の2塁から5類に移され、感染の再燃で老人が少々死んでも、若者が難を逃れ、経済が復活すれば良いのではないかとの考えが主流になってもおかしくないかも・・・。どんな社会がどんな結論を出すのかが問われる。こうして老人は体よく淘汰されることのなるのかも知れない。

 朝日新聞の俳句欄にも、おそらく老人からのものであろう下記のような句も出ていた。

     今様の楢山節考5類かな   青森県 加賀昭人  2023.01.25

     年寄りは死んでもよいのあからさま  朝広三猫子 2023.01.20