映画「新聞記者」

 東京新聞の望月衣塑子記者の書いた「新聞記者」という本に触発されて作られたフィクション作品の映画である。

 監督はまだ三十二歳の若い人で、元々は新聞もほとんど見ない政治には関心がなかったが、この映画のプロデユーサーである河村光庸しの話を聞いてから関心を持って、自分で色々調べてこの作品を作ったということだそうである。主役は女性記者がシム・ウンギョンという韓国育ちの俳優で、外務省から出向した内閣情報室の職員が松阪桃李である。

 国際NGO国境なき記者団」の報道の自由ランキングによると、日本は9年前には11位だったのが、2019年には67位になっているのが最近の日本の実情のようである。政府からの有形無形の圧力が強くなりつつある新聞や放送業界では、それに対する忖度も進み、有力なキャスターやコメンテターなどの入れ替えなども起こっている。

 そういった状況の中では「これ、やばいよ」「つくってはいけないんじゃないか」という声が聞こえてきそうな雰囲気もある中で、よくぞ作られたと思われる映画と言っても良いであろう。劇場は満員で、出てきた人同士の感想も聞かれ、興行収入もランキング10に入ったそうである。

 何よりも人々を惹きつけるのは、フィクションではあるが、実際にあったこれやあれらの事件を思い出させる状況が多く、政府や官僚を取り巻く裏の世界が上手く描かれており、なかなかよく出来た映画だったと言えよう。ある官僚役に「この国の民主主義は形だけでいい」と言わせているのが印象的であった。」

 観客は、昨年来新聞やテレビで嫌という程取り上げられ、多くの人が怒りを覚えながら、じっと我慢して見聞きして来た森友学園加計学園などをめぐる事件を思い出しながら見ることになり、それに対する首相や政府の煮え切らない対応、それを忖度した官僚たちの見え透いた虚偽の証言や行動、官邸を後ろ盾にした事件のもみ消しなどをもう一度考えさせられることになったであろうと思われる。

 ただそうかと言って、この映画は一頃よくあった、派手な権力批判の政治劇映画のようなものではなく、始めから終わりまで閉塞感が漂っている画面の連続で、現在のこの国の社会を反映しているようであった。

 今月行われる参議院選挙の前に一人でも多くの人に見てもらいたい映画である。

 

 

韓国への嫌がらせはやめて、もっと堂々と振舞って欲しい。

 新聞によると、政府は1日、半導体製造などに使われる化学製品3品目の韓国向け輸出手続きを厳格化すると発表した。輸出契約ごとに政府が審査・許可する方法に切り替え、事実上輸出を制限する。今後他の品目にも制限対象を広げる方針で、半導体を主要産業とする韓国にとって大きな打撃となる。

 何か経済的な問題でそうなったのかと思ったら、そうではなくて、韓国最高裁が日本企業に韓国人元徴用工への賠償を命じた問題で、解決に向けた韓国政府の行動を促すため、事実上の対抗措置に踏み切ったのだそうである。

 政治的な問題の解決に、経済的な嫌がらせとも思える報復措置をするのはいかにも品がない。堂々と政治的に渡り合って解決の道を見つけるべきであろう。まるで子供の喧嘩のようではないか。

 外交問題の解決手段として輸出制限措置を取る手法は、日本がG20などで提唱してきた自由貿易推進の方針に逆行することにもなる手段である。当然の反応として、韓国の成允模(ソンユンモ)産業通商資源相は1日、「世界貿易機関WTO)への提訴をはじめ、国際法などに基づく必要な対応措置をとる」と反発したそうである。

 TVのニュースでは、菅官房長官は元徴用工問題の対抗措置ではないと言っているが、それ以外の理由は説得力がない。政治問題としては国連に訴える方法などもまだ残されている。戦時中の問題はまだまだ話し合う余地ある問題である。

 政治的な手段を残したまま、経済的な手段で相手に打撃を与えようとするのは、返って韓国との信頼関係を損ね、相互の不信を増強し、問題の解決をより困難にするのみでなく、隣国同士の友好関係にまで末長く悪影響を来たすことになるであろう。

 もう少し賢明な外交政策で臨むべきではなかろうか。あまりにも稚拙な外交に心を痛めざるを得ない。

 

 

 

トランプ大統領だけは伊丹から

 大阪でのG20開催のため、世界の20ヶ国もの首脳が次々と関西空港から大阪へやって来た。警備のために、高速道路は閉鎖されるは、警察官は全国から3万人も集められるなど大変であったが、アメリカのトランプ大統領だけは他の首脳らと違って、伊丹空港を利用して大阪入りをしたようである。

 関西空港より伊丹空港の方が大阪に近く便利だが、こちらは今は国際線の直接の乗り入れをしていないので、他の国の首脳らも当然のごとく、関西空港を利用したのであろうが、どうしてトランプ大統領だけは伊丹空港を利用したのであろうか。

 理由はわからないが、おそらくアメリカの都合で決められたものであろう。アメリカだけが自由に伊丹空港を利用する事が出来るのである。一般には伊丹空港は騒音対策から夜は9時以降の離発着は禁止されているが、アメリカだけは別なのである。

 在日アメリカ軍日米安保条約によって、日本政府の同意がなくても、日本国中のどこの空港でも利用出来ることになっているのである。当然、そのアメリカ軍の統括機関であるアメリカ政府も日本の空港ならどこでも好きな時に好きなように利用できるわけである。

 そうすれば伊丹の方が関西空港より便利だということになったのではなかろうか。大統領が利用する前夜には、アメリカの大型輸送機が2機も、時間制限を無視して、深夜に伊丹空港に着陸し、大統領用の車や必要物資を下ろして準備したようである。

 今回だけでなく、アメリカ大統領が日本を訪問する時には、前回は羽田空港を利用したが、多くは横田基地を利用し、そこからヘリコプターで東京に飛ぶことが多い。横田基地ならアメリカの支配下にあるので、まだアメリカの国内と同じなのである。

 日米安保条約によるアメリカの日本支配をまざまざと見せつけられる事実であるが、今回のG20でも、トランプ大統領は両国の関係をその行動によって、はっきりと示したことになったわけである。

 日本ではこのような両国の不平等な関係をことさら隠し、「アメリカのため」を「国際貢献のため」などと、対等の関係のように取り繕っているが、どうしてもあちこちでその馬脚を表さざるを得ないことが多い。

 沖縄はその頂点のような問題であるが、国民が正しく物事を判断出来るようにするために、もう少し正しい事実をありのままに国民に知らすべきではなかろうか。

ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス

 ドキュメンタリー映画の巨匠89歳のフレデリック・ワイズマンの「ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス」という映画を見た。こんな図書館のドキュメンタリーで、しかも途中で休憩の入る205分の上映時間の映画では退屈するのではないかと思ったが、さすがにベテランの作品である。

 ニューヨーク、マンハッタンの5th.Ave.にあるこの世界最大級の「知の殿堂」とも言える図書館が、単なる書庫ではなく、人がよりよく生きようとする場所として色々な活動をしている様を丹念に教えてくれて、決して退屈させなかった。

 それどころか、日本の図書館の管理者や、府や市などの自治体の関係者にぜひ見て欲しいと思わせた。これだけ広い活動をしている図書館は日本にはないであろう。図書館が地域住民と共にあるべき真の姿を教えてくれるもので、日本でもぜひ参考にして、すぐには無理にしても、将来的に、地域の図書館が地域に住む人たちにとって、少しでもより有意義な場所にして貰えたらなと思った。

 設立主体は市か州かと思っていたが、そうではなくて、公民協働の図書館運営であり、予算獲得にも努力して公共の予算に寄付なども加えて運営し、あちこちに分館を設け、全部で92の図書館のネットワークとなっているそうである。

  ニューヨーク市民の生活に密着した存在であらんとして、これが図書館の仕事?と思われるような図書館という固定観念を打ち壊すような活動までしている様子が描き出されている。

 学びたい人や働きたい人のための多種多様な教育プログラムを用意し、情報の闇から脱出する手助けとして、老人や低所得者に対するパソコン教室や個人教育なども開き、デジタル革命への適応に努め、スマホの貸し出しのようなことまでしている。 

 その他にも、外国語の教室、障害者にための公共サービスの説明会 手話や音読など、それにダンス教室まで行われていた。

 勿論それより先に、著者を招いての読者との会話や、色々な問題についての講義や討論会なども行われているが、この映画で一番長い部分は、繰り返し出てくる図書館の中で話しているシーンであり、主に予算獲得のための幹部の運営協議会のようなもので、公民協働の組織であるだけに、非常な努力が払われていることがわかる。

 勿論、 内部の図書の管理や、機械的な本の整理や処理の現場なども含め、STAFF ONLYの舞台裏での司書やボランティアの活動も見せてくれる。また、ニューヨ−クなだけに、図書館を訪れるホームレスへの対応の議論まで出ていた。  

 結局、 公共とは何か、民主主義とは何かという考えが運営の基本にあり、それが

この図書館を世界で最も有名のものとしている理由であろうが、同時に未来の図書館のあり方をサジェストしてくれているように思われる。

 図書館に関係している人や府や市の公共に関わる人達はぜひ見て欲しい。日本の図書館もいつの日にか、このような誰にとっても役にたつ地域の知的なセンターになって欲しいものである。

クロッキー

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 もう30年ばかり続いているが、20〜30人ほどの仲間と池田で月に一度集まって、モデルさんを呼んで、ヌード・クロッキーを描く会を続けている。最近は2年に一回になったが、それまでは毎年一回ギャラリーで展覧会もしている。殆どが老人の集まりだが、女性が多く、男はその半数ぐらいである。

 クロッキーとはクイック・ドローイング、もしくは速写画とでもいうもので、ごく短時間に対象を見て、その印象を紙に描き上げようとする、いわば絵画の基本とも言えるもので、それ自体でも作品にもなりうるものである。

 ちょうど今展覧会をしており、私も出品しているが、まだまだ自分でも満足のいく作品にはなっていない。簡単なようでなかなか上達はしない。ある時、たまたま20歳代の頃少しやった時の作品が出てきたことがあり、最近描いたものとと比べてみたが、あまりにも進歩していないことにがっかりしたものであった。

 一緒に出展している人たちの作品もいろいろだが、あんな風に描ければと思う人の絵もあり、以前から少しは真似してあんな風に描けないものかと努めて見ても、どうしてもそのようには描けないものである。クロッキーは論理的、数学的、意識的といった左脳で描くものでなく、創造的、イメージ、直感、感性といったものを扱う右脳で描くもののようである。

 他人の真似をしようと思って、思い切って描き出しても出来上がったのを見ると、どうしても自分なりにまとまったものになってしまう。どうも右脳の働きが左脳に抑えられてしまうようである。結局その人その人の個性があり、それによる左右の脳の働きのバランスが違うので、自分なりに描くようにするしかないのであろうか。

 たまたま、このクロッキー展を覗きに来た、大阪芸大卒で美術の批評家とか自称する中年の生意気な男性が、クロッキーは単にモデルを写し取るだけのもので、絵画の基礎の練習にはなるが、その人の思いや主張などが反映されるわけでなく、芸術ではないから評価は出来ないと言って驚かされた。

 確かに基礎的な練習には過ぎないとしても、やはりこんな簡単なものでも、それぞれの人の個性によって、対象の見方も、思い入れも、描き方も自然に違って来るので、出来上がった作品も、上手下手だけではなく、それぞれに個性的で同じ対象でもこんなに違うのかと驚かされる。

 クロッキーもやはり立派なアートの端くれだとしても良いのではなかろうか。そう考えて、いつまでたっても上達しないことを嘆きながらも、やっぱり好きなクロッキーは止められないでこれからも続けていくことになろう。

天下の賊

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 朝日歌壇の投稿句に

「ことごとく民意をないがしろにして真摯に寄り添うトランプさんに」(近江八幡市)寺下 吉則

というのがあった。密かな多くの国民の思いがよく表現されているのではなかろうか。

 沖縄の住民のそれこそ長年にわたる切実な思いに、事あるごとに「真摯に民意に寄り添っていきたい」と繰り返しながら、辺野古の工事にしても、反対の民意がはっきり表明されているにも関わらず、一時中止して話し合いの機会さえ持とうとせず、既定方針通りに工事を進めるのは、誰の目から見ても、あまりにも冷酷で、高圧的な態度と言わねばならない。

 言葉と行為は真逆である。「日本語を知らないのか」とさえ言いたくなる。「寄り添う」という言葉の意味が「ぴったりと体を近づけ、相手の立場に立って考え行動すること」であることをしっかり理解して発言し、言ったことには責任を持って欲しいものである。

 沖縄問題以外でも、森友、加計学園の問題でも、忖度をさせても、自ずから責任を取ろうとせず、公文書の改ざんなどについて追求されても覚えていないと逃げ、社会保障は削り、国民の所得の統計はごまかし、消費税増税を果たそうとしている。どう見ても、国民の暮らしに寄り添って政治をしているとは思えない。

 ところが一方、同じ首相がアメリカに対しては、国民が情けないと想うぐらいに、いつもアメリカに寄り添っているのである。3年前の選挙で、トランプ大統領と決まれば、早速に就任前に飛んで行って会い、一緒にゴルフをしたかと思えば、言われるままに大量の兵器を買って軍備を増強し、トランプ大統領ノーベル平和賞に推薦するまでに至っているのである。

 幾ら何でも少しやり過ぎだと言われんばかりに、それこそ寄り添って、色々忖度してまで諂っている。日本の首相というより、アメリカの植民地の出先機関の長のようでさえある。

 祖父が戦後に、正力松太郎笹川良一などとともにアメリカのCIAの協力者であったことがアメリカの資料で明らかになっているそうだが、その一族である安倍首相も、ひょっとすると同じ穴の狢なのであろうか。かって自民党の幹事長を長らく務めた後藤田正晴氏「安倍晋三だけは首相にしてはいけない。岸の血を引いているから」とか言っていたのもそこらの事情を知っていたからであろうか。

 安倍首相と同じ山口県出身の、幕末の志士吉田松陰は初めに掲げた図にもあるように言っているが、時代は違うが、まるで松陰は安倍首相を指して言っているように見えるではなかろうか。

 

九十歳も過ぎれば・・・

 いつの間にか90歳を超えてしまった。長く生きてきたものだが、年を取るとともに時間の流れが速くなるので、実感としては、瞬く間にこの歳になってしまった感じである。先日は娘の誕生日で、もはや来年還暦だと知って驚かされた。

 それでもまだ元気で、少しばかり仕事まで出来ていることは有難いことであるが、さすがに体は若い時のようにはいかない。歩く速度が遅くなったし、疲れやすい。転倒したこともある。

 60代、70代の頃は、まだ元気で、よく外国旅行にも行っていたが、そこで出会った先輩の人が「70代と60代では違うものですよ。せいぜい60代のうちに旅行に行っておきなさい」と言ってくれたのももう遠い昔のことになる。

 しかし、70になっても元気で、検診結果で引っかかる所もなく、フルタイムで働いていて、体のことで活動が制約されるようなことはなかった。まだフルタイムの仕事も続けられていたわけである。ただ、若い時と違って、夜は次第に早く寝るようになり、その分、早起きになっていった。

 75歳になると、後期高齢者と言われるようになったが、まだ仕事はそれまで同様に続けられたし、趣味の写真や絵、旅行や映画、画廊や美術館巡りなども、好奇心の赴くままに積極的に続けていた。

 ただ、この頃から歩行中に、何かの弾みに転倒することが見られるようになり、明らかに体のバランスが乱れ易くなってきたようで、散歩やハイキングへ行く時には、ステッキを使うようになった。ただし、ステッキは転倒防止というより、坂道を登る時楽だし、ステッキでで歩調を取ると、リズムに乗り却って気持ちよく歩くことが出来るのである。ステッキを持っていると、電車で席を譲られるようにもなってきた。

 この位の年齢になると、個人差が大きくなって来るもので、印象的だったのは、その頃、電車で随分久しぶりの同じ歳の旧友に出会ったが、これが私と同じ年齢かと驚くほどその友人が老け込んでいるのに驚かされたことがあった。

 最近は人口減で、一億総活躍だとか言って、年寄りをも働かせようという動きが強くなって来ているが、一口に老人と言っても、歳が行くとともに個人個人でのバラツキが大きくなることに注意して欲しいものである。

 それぞれに、持って生まれた素質も違うし、長い間生きてきた歴史も違うので、人さまざまで、老人は若者と違って歳の取り方、体のばらつきも随分違うのだから、一律に「老いた体に鞭打ち働かされる」ようなことにだけはならないように、勘弁願いたいものである。

 またそれまで元気であっても、この年頃はがんや脳、心臓血管病で倒れる人が一番多くなる年代である。何とかこのようなアクシデントを避けて少しでも長く健康でゆっくりとした余生を送れるようにしたいものである。

 こうして80代になると、男では平均年齢に達したことになる。自分では若い積もりでも、最早外見からも歳は隠せず、負担がかかると若い時のようには行かなくなる。 友人や家族など、周りの死に出くわす機会も多くなり、友人との会合の別れにも、「生きていたらまた会おう」などと言う挨拶が交わされたりするようになる。

 私も80歳で、毎日の仕事を辞め、パートの仕事だけにし、家にいることが多くなったので、この頃から、朝起きてラジオ体操や自分流の筋力運動をするようになり、また、月に一度は箕面の滝まで歩くことにした。そのお蔭か、次第に転倒しなくなったのは儲けものであった。老人同士の会合なども楽しみ、趣味の写真や絵はそのまま続けていた。

 ところが85歳を過ぎる頃から、親しい仲間も一人かけ二人欠けして、会合も成り立たなくなったり、同窓会も世話をする人が弱って終了ということになったりで、次第に周りが寂しくなって行くことになる。連れ合いに先立たれて孤独になる友人も増えてくる。

 87歳の夏に、私は心筋梗塞になり、救急入院してステントを入れられることになり、それを機会に迷惑をかけてはいけないので、それまで続けていたパートの仕事も辞めた。しかしこの機会に色々な検査で全身を調べて貰い、他に異常がないことを確かめられたことは思わぬ儲けものであった。

 やがて米寿だと言って祝って貰ったりしたと思っていたら、たちまち卒寿となる。流石に90歳も過ぎれば、別に変わりはないが、疲れ易くなり、物事の処理に時間がかかるようになる。日による違いが大きくなる感じがある。

 何処かへ出掛けても、昔なら序でにあちらこちら寄り道しがちであったのが、序でがしんどく感じられるようになり、そのまま帰ってしまうことが多くなる。友人も次第に欠けて行き、孤独感が強くなって来る。いつまで生きられるか、死が近づいて来たのを実感するようになる。

 もう来月には満91歳になる。最近は人生100歳の時代などと言われ、超高齢者も多くなって来てはいるが、ここまで生きれば、もういつ死んでも恥ずかしくない。それまで余生を楽しんで、あまり苦痛や障害なしで命を終えられれば良いがと思うようになってきた。

 それでも生きている間は、出来る範囲では、頼まれれば多少は仕事もこなし、好奇心だけは衰えないので、好きな趣味なども続け、新聞やSNSなどからの世間の情報も楽しみ、適当に体も動かして、機会があれば人とも会い、女房と二人で静かに元気な余生を過ごして行きたいものだと思っている。

 いつまで生きられるかは「神のみぞ知る」である。