クロッキー

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 もう30年ばかり続いているが、20〜30人ほどの仲間と池田で月に一度集まって、モデルさんを呼んで、ヌード・クロッキーを描く会を続けている。最近は2年に一回になったが、それまでは毎年一回ギャラリーで展覧会もしている。殆どが老人の集まりだが、女性が多く、男はその半数ぐらいである。

 クロッキーとはクイック・ドローイング、もしくは速写画とでもいうもので、ごく短時間に対象を見て、その印象を紙に描き上げようとする、いわば絵画の基本とも言えるもので、それ自体でも作品にもなりうるものである。

 ちょうど今展覧会をしており、私も出品しているが、まだまだ自分でも満足のいく作品にはなっていない。簡単なようでなかなか上達はしない。ある時、たまたま20歳代の頃少しやった時の作品が出てきたことがあり、最近描いたものとと比べてみたが、あまりにも進歩していないことにがっかりしたものであった。

 一緒に出展している人たちの作品もいろいろだが、あんな風に描ければと思う人の絵もあり、以前から少しは真似してあんな風に描けないものかと努めて見ても、どうしてもそのようには描けないものである。クロッキーは論理的、数学的、意識的といった左脳で描くものでなく、創造的、イメージ、直感、感性といったものを扱う右脳で描くもののようである。

 他人の真似をしようと思って、思い切って描き出しても出来上がったのを見ると、どうしても自分なりにまとまったものになってしまう。どうも右脳の働きが左脳に抑えられてしまうようである。結局その人その人の個性があり、それによる左右の脳の働きのバランスが違うので、自分なりに描くようにするしかないのであろうか。

 たまたま、このクロッキー展を覗きに来た、大阪芸大卒で美術の批評家とか自称する中年の生意気な男性が、クロッキーは単にモデルを写し取るだけのもので、絵画の基礎の練習にはなるが、その人の思いや主張などが反映されるわけでなく、芸術ではないから評価は出来ないと言って驚かされた。

 確かに基礎的な練習には過ぎないとしても、やはりこんな簡単なものでも、それぞれの人の個性によって、対象の見方も、思い入れも、描き方も自然に違って来るので、出来上がった作品も、上手下手だけではなく、それぞれに個性的で同じ対象でもこんなに違うのかと驚かされる。

 クロッキーもやはり立派なアートの端くれだとしても良いのではなかろうか。そう考えて、いつまでたっても上達しないことを嘆きながらも、やっぱり好きなクロッキーは止められないでこれからも続けていくことになろう。