九十歳も過ぎれば・・・

 いつの間にか90歳を超えてしまった。長く生きてきたものだが、年を取るとともに時間の流れが速くなるので、実感としては、瞬く間にこの歳になってしまった感じである。先日は娘の誕生日で、もはや来年還暦だと知って驚かされた。

 それでもまだ元気で、少しばかり仕事まで出来ていることは有難いことであるが、さすがに体は若い時のようにはいかない。歩く速度が遅くなったし、疲れやすい。転倒したこともある。

 60代、70代の頃は、まだ元気で、よく外国旅行にも行っていたが、そこで出会った先輩の人が「70代と60代では違うものですよ。せいぜい60代のうちに旅行に行っておきなさい」と言ってくれたのももう遠い昔のことになる。

 しかし、70になっても元気で、検診結果で引っかかる所もなく、フルタイムで働いていて、体のことで活動が制約されるようなことはなかった。まだフルタイムの仕事も続けられていたわけである。ただ、若い時と違って、夜は次第に早く寝るようになり、その分、早起きになっていった。

 75歳になると、後期高齢者と言われるようになったが、まだ仕事はそれまで同様に続けられたし、趣味の写真や絵、旅行や映画、画廊や美術館巡りなども、好奇心の赴くままに積極的に続けていた。

 ただ、この頃から歩行中に、何かの弾みに転倒することが見られるようになり、明らかに体のバランスが乱れ易くなってきたようで、散歩やハイキングへ行く時には、ステッキを使うようになった。ただし、ステッキは転倒防止というより、坂道を登る時楽だし、ステッキでで歩調を取ると、リズムに乗り却って気持ちよく歩くことが出来るのである。ステッキを持っていると、電車で席を譲られるようにもなってきた。

 この位の年齢になると、個人差が大きくなって来るもので、印象的だったのは、その頃、電車で随分久しぶりの同じ歳の旧友に出会ったが、これが私と同じ年齢かと驚くほどその友人が老け込んでいるのに驚かされたことがあった。

 最近は人口減で、一億総活躍だとか言って、年寄りをも働かせようという動きが強くなって来ているが、一口に老人と言っても、歳が行くとともに個人個人でのバラツキが大きくなることに注意して欲しいものである。

 それぞれに、持って生まれた素質も違うし、長い間生きてきた歴史も違うので、人さまざまで、老人は若者と違って歳の取り方、体のばらつきも随分違うのだから、一律に「老いた体に鞭打ち働かされる」ようなことにだけはならないように、勘弁願いたいものである。

 またそれまで元気であっても、この年頃はがんや脳、心臓血管病で倒れる人が一番多くなる年代である。何とかこのようなアクシデントを避けて少しでも長く健康でゆっくりとした余生を送れるようにしたいものである。

 こうして80代になると、男では平均年齢に達したことになる。自分では若い積もりでも、最早外見からも歳は隠せず、負担がかかると若い時のようには行かなくなる。 友人や家族など、周りの死に出くわす機会も多くなり、友人との会合の別れにも、「生きていたらまた会おう」などと言う挨拶が交わされたりするようになる。

 私も80歳で、毎日の仕事を辞め、パートの仕事だけにし、家にいることが多くなったので、この頃から、朝起きてラジオ体操や自分流の筋力運動をするようになり、また、月に一度は箕面の滝まで歩くことにした。そのお蔭か、次第に転倒しなくなったのは儲けものであった。老人同士の会合なども楽しみ、趣味の写真や絵はそのまま続けていた。

 ところが85歳を過ぎる頃から、親しい仲間も一人かけ二人欠けして、会合も成り立たなくなったり、同窓会も世話をする人が弱って終了ということになったりで、次第に周りが寂しくなって行くことになる。連れ合いに先立たれて孤独になる友人も増えてくる。

 87歳の夏に、私は心筋梗塞になり、救急入院してステントを入れられることになり、それを機会に迷惑をかけてはいけないので、それまで続けていたパートの仕事も辞めた。しかしこの機会に色々な検査で全身を調べて貰い、他に異常がないことを確かめられたことは思わぬ儲けものであった。

 やがて米寿だと言って祝って貰ったりしたと思っていたら、たちまち卒寿となる。流石に90歳も過ぎれば、別に変わりはないが、疲れ易くなり、物事の処理に時間がかかるようになる。日による違いが大きくなる感じがある。

 何処かへ出掛けても、昔なら序でにあちらこちら寄り道しがちであったのが、序でがしんどく感じられるようになり、そのまま帰ってしまうことが多くなる。友人も次第に欠けて行き、孤独感が強くなって来る。いつまで生きられるか、死が近づいて来たのを実感するようになる。

 もう来月には満91歳になる。最近は人生100歳の時代などと言われ、超高齢者も多くなって来てはいるが、ここまで生きれば、もういつ死んでも恥ずかしくない。それまで余生を楽しんで、あまり苦痛や障害なしで命を終えられれば良いがと思うようになってきた。

 それでも生きている間は、出来る範囲では、頼まれれば多少は仕事もこなし、好奇心だけは衰えないので、好きな趣味なども続け、新聞やSNSなどからの世間の情報も楽しみ、適当に体も動かして、機会があれば人とも会い、女房と二人で静かに元気な余生を過ごして行きたいものだと思っている。

 いつまで生きられるかは「神のみぞ知る」である。