昔の電車の車掌さん

 昨日電車に乗っていて、どこかの駅で止まった時のこと。どこの駅でもよく見られる風景だが、ドアが閉まって発車する間際に、慌てて乗ろうとした二人組の目の前で、ドアがピタリと閉まってしまって、二人は無情にもホームに取り残されてしまった。

 その時、急に若かった頃の駅の光景をに思い出した。昔は発車間際にホームへ駆け上がって、待ってくれと言わんばかりに、閉まりかけた電車のドアに駆け込んだことがよくあったものだった。

 昔の電車は今ほど混んではいなかったし、電車の回数も今より少なく、連結車両数も少なかったこともあったためか、車掌さんも、僅かなことなら待ってくれることもあったものであった。それも「可愛い女性が走って来たら、車掌さんは待ってくれるが、憎さげな男だったら、間に合うものでも、早くドアを閉められてしまう」などと言い合ったりしたものであった。

 まだ知らない都会の中でも、人の温もりを感じる機会が多かった時代だったのである。 それが今では、駅のホームには絶えず「駆け込み乗車はお止め下さい」とアナウンスが流れているし、電車の運行システムも巨大となり、鉄道会社の管理も厳しくなり、ことに鉄道は安全第一でなければならないので、ちょっとしたことでも、融通を利かせるゆとりが無くなってしまっている。

 その方が利用者にも便利だし、複雑化する都会のシステムを確実に動かしていくためには、規律は厳密に守るのが当然であるが、JR宝塚線の尼崎で起きた事故のように、わずかな遅れをとり戻すための速度超過が返って脱線転覆に繋がるようなことにも配慮すべきであろう。

 丁度この事故のあったすぐ後でイタリアへ行ったが、イタリア人が「イタリアでなら1分や2分の遅れなど全く問題にならないのに・・・」と言っていたのを思いです。

 もうこちらも歳をとっているので、今更駆け込んで電車に飛び乗るほどの元気も無いが、社会の組織がどこもかしこも複雑で頑丈なものになるにつれ、ゆとりがなくなり、人間的な接触が薄くなってしまったのも仕方がないことであろうか?走ってくる乗客をちょっと待ってくれた車掌さんがいた頃が懐かしく思い出される。