桜を見れば思い出す

 今年は例年より桜の開花が早く、まだ3月なのに、もう何処もかしこも満開である。桜は春の象徴であり、テレビなどでも、例年、開花情報まで流して教えてくれるが、それを聞いて、もう待ち切れないように見に行きたくなるものである。

 桜は昔から日本の国花ともされ、吉野の山など、あちこちに桜の名所も多いが、そんな遠くへ行かなくとも、日本国中、桜だらけと言っても良いぐらい、桜は何処ででも見られる。川の土手沿いなどに桜並木のある所が多いし、市町村の役所や学校、神社やお寺、お城、昔なら兵営などの周囲には必ずと言って良いぐらいに、桜並木はあちこちに見られる。

 私たちの頃の小学校の国語の教科書も「サイタサイタサクラガサイタ」で始まっていた。

そして戦争時代になると、武士道や軍国精神と結び付けられ、桜の花のようにパッと咲いてパッと散るのが大和魂に通じるとして称揚され、軍歌で「万朶の桜の花の色・・」と歌いながら軍隊が隊伍を組んで兵営から出て来たり、「貴様と俺とは同期の桜、同じ花なら死ぬのも同じ・・」などと歌われたりもした。戦争末期の特攻隊などにも桜を冠した名前がつけられることが多かったし、桜は軍隊と強く結び付けられていた。靖国神社の桜も有名である。

 そんな時代に成長し、大日本帝国に命を預けて、最後は海軍兵学校にまでいった私にとっては、桜はその時代の一種の象徴でもあった。それが敗戦で裏切られ、暗黒の中に放り出された末に、ようやくかろうじて生きながらえた後も、その傷跡は今も残っている。

 桜は美しいし、春の象徴で、今も春に桜は欠かせないが、桜は単に美しいだけでなく、それに重なって、今尚、何処かに暗黒の亡霊が付き纏うのをどうすることも出来ない。

 戦後の平和な時代が来て、高度経済成長を果たした後になって、飲めや歌えの花見の宴会に参加しても、宴が賑やかであればある程、幕の裏からそっとやつれた兵士が顔を出す幻を見たり、花吹雪は美しいが、ふと、突撃して死んで行った大勢の兵士の姿が浮かんだり、花筏の流れる美しさに見惚れていると、いつしか水漬く屍となった多くの兵士の霊が流されれて行く姿が見えたりということがよくあった。

 長い時の経過とともに、それらの幻影も薄くはなっていったとは言うものの、未だに時として思い出されるものである。桜は単に美しいだけのものではない。何処かに悲しい歴史の魔性を秘めた美しさとでもいうべきであろうか。

 最近の朝日新聞に、野村喜和夫の詩集「美しい人生」の中の「桜」の項に『「それ自体が錯乱である花 なんだって」桜の満開の下で人は夢うつつ、時に狂い死にすると言われて来た。さらに、その木の下には「屍体が埋まっている」と書く人もいた。その「錯乱」が幹をつたい、花は咲き乱れるのか。散り際良しなどと煽てられてたまるものかと。』というのが載っていた。

 それがどういう関連で出て来たものかは知らないが、桜は単にその美しさを愛でるだけのものではなく、深い悲しい歴史を秘めた花なのであろう。

     花散りて陛下は生き延び兵は死す

     花宴幕の裏から兵の顔

     桜咲く雲に消えにし特攻機

     花筏戦に散りし兵の魂

     花吹雪今も聞ゆる”歩調取れ”