能登はやさしや土地までも

 今回の地震で一躍有名になった能登半島といえば、七尾湾や和倉温泉もあるが、やはり輪島である。輪島の朝市は忘れられない。しかし、先端にある珠洲市についても、私は古くから知っている。

 まだ若い頃、当時勤めていた病院に、検査技師として就職して来た女性が美しい人で評判だったが、その人が珠洲市の出身であった。やがて小児科の若い医師と結婚して何年か経って子供が出来て退職したが、その人と結びついて珠洲市が記憶されてきた。

 現在その方がどうしてられることか、つれあいの医師の方はもう何年か前に鬼籍に入っているが、その女性の方は今どうされているのか全く知らないが、珠洲地震と聞いて咄嗟に思い出されたのはその女性のことである。

 珠洲市へは一度行ったことがある。今回の地震で土地の隆起や道路の寸断が見られた能登半島の北岸を辿るルートで行き、半島の最先端である珠洲市の海には特徴のある島というより岩礁(見附島=軍艦島)を見た記憶があるが、その島も岩石の崩壊で姿を変えてしまったらしい。

 珠洲まで行ったのはその時だけだったが、能登半島へは何度も行っており、和倉温泉に泊まって、七尾湾の島へも行ったし、中代達代の演劇劇場に足を運んだこともあった。しかし今も一番印象に残っているのは輪島である。最初に訪れたのはまだ国鉄が走っていた頃である。詳しいことは覚えていないが、今回の大火で焼けてしまった朝市通りなどをを彷徨ったり、輪島塗の漆器を見たりしたことを覚えている。

 国鉄が廃止されてから後にもバスで行ったこともあり、そんな馴染みのあるところが地震や火事、津波、土砂崩れなど重なる災害で無くなってしまうのはなんとも寂しく耐え難い気がする。

 多くの家が崩壊したり焼失して、老人の多い住民達が寒空に放り出され、暖房もなく、水も食料も乏しく、トイレも不自由な所で生活せねばならず、その上に大雨、大雪などの追い打ちを受け、自分だったらもうとても生きていけないのではないかと思ってしまう。追い詰められて亡くなった災害関連死の方もおられるに違いない。想像するだけでも恐ろしいことである。

 それでも今日見たSNSで見た書き込みは僅かな救いであった。能登には古くから「能登はやさしや土地までも」という言い伝えがあるそうで、今回に災害に際しても、壊れた家でそっとご飯を出してくれたり、壊れたスーパーで品物を求め、真っ暗なレジに黙ってお金を置いていく人がいた様な話が出ており、何かホッとした感じにもさせられた。さらにそれを知った人がSNSにそういう人柄をこそ文化財に登録してほしいという書き込みまでついていて、何かこちらが慰められている様な気がした。

 それにしても今回の災害での何よりの「不幸中の幸いは」珠洲原発が住民たちの執拗なまでの反対で建設中止になっていたことではなかろうか。万一原発が初めの計画通り珠洲市の北岸に作られていたとしたら、地震によるあの4メートルも海岸が持ち上がった様な地殻変動で破壊され、福島第一の事件以上の大惨事になっていたのではないかと思うと背筋がゾッとする思いである。

 珠洲の人たちがよくぞ原発建設を止めてくれたものだと感謝しなければならない。代わりに半島のもっと根本の方に造られた志賀原発でさえ、外部電源の変圧器だかの故障を起こしているのである。

 今は被災された人々の生活の安全と一日でも早い復興、普通の生活への復帰を祈ってやまない。