私にとっての日の丸、君が代

 私にとって君が代や日の丸は過去の嫌な思い出と固く結びついてしまっている。そのため、未だにオリンピックやスポーツの大会などで、日の丸が振られても、どうしても今の若い人たちのように、無心に振ったり出来ない。テレビの朝の始まりにも日の丸が出るが、目を背けている。いつ見ても、戦時中まで見られた各戸に掲げられた日の丸や、式典などで翩翻と翻る日の丸を見ると、戦争にまつわる嫌な思い出が蘇ってくる。

 君が代も、相撲の優勝力士の表彰式式などで、テレビで流される時には、聞きたくないので、自然とスイッチを切ってしばらく待つことになり易い。現役時代にも国立病院だったので、式典で君が代の斉唱がされることがあったが、嫌な思い出を振り払いながら、黙って立っているだけであった。

 軍国少年であった私は日の丸、君が代の中で育ち、どれだけ君が代を歌い、日の丸を振ったことであろう。本当に”天皇陛下”のため”神国日本”のため死ぬつもりでいたのだから、敗戦によるショックは大きかった。やがて広い世界を知るとともに、それまでの人生を全否定するしか生きていく道はなかった。価値観の180度の転換、天皇制や大政翼賛会政治、軍国主義侵略戦争皇国史観などの全面否定、裏切られたことへの嫌悪の上に、やっと新しい人生を開いていくことがで出来たのであった。

 当然敗戦までの象徴であった君が代や日の丸は嫌な思い出に繋がり、見るのも聞くのも避けてきた。戦後アメリカの占領下では国歌も国旗も禁止されており、その後も戦時の記憶につながるので、それらの使用は敬遠されていた。ところがその後の国の復興とともに、右翼の方から日の丸、君が代の復活の声が強くなり、私と同じような受け取り方をする人の多い中、学校の式典などでの教師に対する政府からの君が代、日の丸に対する強制などが問題を起こしながらも、政府は1999年8月衆議院で国旗は日章旗、国歌は君が代と強引に決めてしまった。

 私にしてみれば君が代は時代遅れだし、現実と乖離している。国歌や国旗はもう少し新しいものに変えたほうが良かったのにと今でも思っている。ただし、国民が選んだものであれば何でも構わない。

 昔の修身の本には、“「君が代」は日本の、国歌です、我が国の祝日やその他のおめでたい日の儀式には、国民は、「君が代」を歌って、天皇陛下の御代萬歳をお祝ひ申し上げます。 「君が代」の歌は、「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄になるように」といふ意味で、まことにおめでたい歌であります。“と書かれていたのです。君は当然天皇をさしていたのである。

 それが1999年の日本政府の公式見解では、「日本国憲法下で、『君が代』とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国および日本国民統合の象徴する我が国のこととなる。歌詞の意味は、我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当である。」とされている。

 戦後もはや77年も経ち、今の多くの人達は最早戦争のことを知らない、国民が受け容れる国家や国旗に反対する気持ちは更にない。しかし、私にとっては忌まわしい歴史と結びついた君が代や日の丸を受け容れることは未だに生理的にも不可能である。 

 個人として、未だにその印象が消えないのはどうしようもない。