沖縄陥落の日

 七十八年前の六月二十三日は、九十日に及ぶ「鉄の暴風」と言われたアメリカ軍との戦いで、沖縄県民の四人に一人が殺されるという凄惨な戦いの末、遂に日本軍の組織的な抵抗が終わり、日本軍が負けた記念日である。

 この日を記念して、毎年、糸満市の藦文二の平和公園に造られた「平和の礎(いしじ)」に刻まれた24万人の日米両方の戦没者の名前に祈り、この日を沖縄慰霊の日として、国を上げての全戦没者追悼式が行われている。今年も岸田首相や沖縄の玉城知事も出席して式典が行われた。

 そこでの玉城氏は平和宣言で、米軍普天間基地宜野湾市)の名護市辺野古への移設断念や、日米地位協定の抜本的見直しを求めた上で、自衛隊の南西シフトに触れて「苛烈な地上戦の記憶と相まって、県民に大きな不安を生じさせている」と指摘したが、岸田首相は「アジア太平洋地域における平和的な外交と対話による緊張緩和と信頼醸成が、これまで以上に必要」と述べるにとどまった。

 現在の沖縄県民の最大の関心事である、南西諸島における敵基地攻撃能力まで備えたミサイル基地の整備や普天間基地の移転、辺野古基地造成などによって、多くの県民が再び悪夢が近づいてきている恐怖に襲われていることについては触れなかった。

 悲惨な沖縄戦を顧みて、本土の日本人以上に、身をもって体験した沖縄戦の経験に照らして、沖縄の人たちが何よりも望んでいる平和な暮らしを再び破壊し、軍事基地を増強し、戦争の危険をわざわざ誘き寄せることに対して、県民の納得も得ないままに進められている現状を、ことさら避けていることは沖縄県民を愚弄しているものとしか言えない。国民の声より米軍の意向の方が優先する岸田内閣の姿勢がここでも鮮明に示されている。

 沖縄戦は、もう本土は空襲で焼き尽くされ、国民は飢え、軍艦も石油不足で動けず、最早敗戦も明らかになってきている中で、最後の抵抗戦として、本土決戦を少しでも遅らせるために、最早や破れかぶれで行われたもので、そのために沖縄がその犠牲となり、悲惨な運命を背負わされたものだったのである。

 沖縄戦での県民の奮闘を伝えた大田実少将の電文はこう始まる。「沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のために戦闘に明け暮れ、県民に関してはほとんど顧みる余裕もなかった」。これからも、軍が決して国民を守るものではないことがわかる。今の自衛隊も変わらないのではないか。県民が疑念を抱くのも当然である。

 ただ平和を唱えていたら平和はやって来るものではない。逆に今は折角の平和も再び蒸発してしまいそうである。積極的に憲法を守り、具体的に平和への障害を取り除いて行かねばならない時である。政府に対しても、米国の意向よりも、国民の声を聞き、国民の要望に応えるように声を上げねばならない。

 沖縄から上京した人が東京の人に「ようこそ日本へ」と言われたそうだが、今も沖縄は日本ではなく、日本の属地なのであろうか。いつになれば、生活も日本と同じようになり、米軍や戦争を恐れることなく、平和に暮らせる日が訪れるのであろうか。