日本はなぜ侵略や虐殺を認めないのか

 アメリカに言われて日本と韓国はとりあえず仲直りすることになったが、今回も日本政府は

「厳しい環境の下で、多数の方が大変、苦しく悲しい思いをしたことに心が痛む」と岸田首相が会談後の共同記者会見で、元徴用工の置かれた境遇について言及。「私自身の思いを率直に語った次第だ」とも強調したが、植民地支配への「痛切な反省とおわび」を明記した1998年の日韓共同宣言など歴代内閣の立場を「全体として引き継ぐ」とした3月の首脳会談の言い回しを繰り返すのみで、その内容には一切触れなかった。

 この解決策に韓国の野党は反対し、韓国での世論調査でも反対が59%あり、韓国社会での不満は消えていない。日本政府の立場は、1965年の日韓基本条約に伴う日韓請求権協定で賠償などについては全てケリをつけたとしているが、当時の韓国の弱みに漬け込んで強引に協定を結んだもので、加害者の日本企業が賠償も謝罪もせず、政府も関わらないのでは韓国社会での不満は消えないであろう。

 具体的な金銭上の弁償などの問題を超えて、過去の植民地支配や慰安婦問題、強制労働問題、大震災時の虐殺などの、過去の事実は単なる協定で終わらせられる問題ではなく、それらを曖昧にする日本の態度に韓国の人々が強い不信感を持っているのである。日本政府も過去の植民地支配も過ちと認めているのであるから、「何度謝れば良いのか」とか「現在の若い日本人には責任がない」などの発言を見ても、日本が本当に過去を反省しているのかと疑われても当然である。

 韓国に対してだけでなく、中国に対する侵略戦争や、それに伴う数々の住民に対する暴行・虐殺などの残虐行為を行なった歴史も消えないし、書き直せないものである。その時の力関係で変わるものではない。実際に起こった歴史を正しく認識するしか相互の友好はあり得ない。

 日本は自らの過去の過ちを認めるのは当然として、一度謝ればすむものではなく、過去の歴史を踏まえて、反省し、記憶し、記録し、繰り返し謝罪に努め、新たな行動を認めて貰うべきであろう。ドイツがナチスの過ちを謝罪し、今なお謝罪とともに、犠牲になったユダヤ人に対する哀悼の念を色々な形で表し続けているのを見習うべきである。

 先日の新聞によると、オーストラリアでも、1992年の「マボ判決」以来、先住民の先住権が認められ、以来、首相は先住民への暴力と略奪を認めて謝罪に努め、今では各種のイベントを通じて、冒頭で先住民への敬意を表す儀式が行われ、毎年のマルディ・グラと言われる一大イベントでも、この儀式が最初に行われ、先住民がパレードの先頭を行くそうである。

 我が国でも、迫害の歴史を決して忘れないという強い意志が必要である。世界的にも先進国が過去の歴史上の過ちを認めて初めて和解へと進む方向にある。韓国における日本への経済的依存度ももはや以前のように高くない。

 植民地支配の負の歴史は、教育でも教え、社会として記録し、記憶を継承するべきものであり、過去の過ちへの謝罪は何度も何度も繰り返し行われなければならないものである。記憶する努力を怠れば、過去は簡単に薄れ、迫害の歴史が繰り返されかねない。

 過去の否定は現在の自分を欺くことになり、将来の判断を誤ることにもなりかねない。世界は変化し発展していっている、過去を正しく処理出来ないものには未来の展望も開けない。この国が過去を消して未来まで失わないことを願うばかりである。