希望的観測ー政府の出生率予測

 戦前、まだ私が子供の頃に小学校で教えられたのは、日本では、毎年およそ二百万人の子供が生まれ、百万人の人が死んで、結果として、一年におよそ百万の人口が増加しているのだということであった。その頃の日本の人口は1億と言われていたが、朝鮮半島の人口を含めたもので、本州の人口は7千万人とされていた。

 それが戦後のベイビーブーマーの時代を経て1億3千万近くまでになったが、その後は人口が減り始め、今や少子高齢化の時代が続き、今では年間の全出生率が、上記の昔の年間の人口増加分より少ない80万を割るような所まで落ち込み、人口の減少が止まらない。

 周囲を見渡しても、老人ばかりが目につくし、若者を見ても、昔とは違い、男女ともに何歳になっても結婚しない独り者が多い。これでは人口が減るのが当然だろうと思わないではおれない。政府も少子化対策に力を入れはじめているようだが、そんな状況の中で、上の政府の出生率予測のグラフを見て興味を引かれた。

 国の人口問題研究所から出されたものらしいが、1970年以来、出生率が減って来ている様子がわかる。ここで面白いのはその減り方よりも、青線で引かれた各年代の将来予測の線である。いずれも、その時点、時点で、何らかの根拠に基づいて描かれた推計の線であろうが、いつも希望的観測が描かれており、それがいつも見事に外れていることである。

 1976年の時には、まだこの人口減少は一時的なもので、すぐに回復するだろうと思われていたのであろうが、現実は回復する兆しもなく、その後もどんどん下降して行っている。それでも回復の希望を捨てきれず、繰り返し繰り返し、予測の青線が右肩上がりに描かれているが、いつも現実に裏切られてきたことである。

 出生率曲線はその後もどんどん下降の一途である。それにともなって、青い推計線の方も急峻な回復線が次第に勢いがなくなって行き、推測カーブまでが緩やかな上昇に過ぎなくなっていっているのが興味深い。それにしても、これだけ何回も同じことを繰り返しながら、何故に、何処までも予測線を上向きに引かざるを得なかったのだろうか。

 戦争中も、もう我が方が不利で、もうほぼ絶対に勝てそうでなくなっても、その都度その都度、希望的観測で乗り越えようとして、とうとう負けてしまったのが歴史であったが、それとと瓜一つのような気がしてならない。どうしてもっと早く、それまでの傾向から正しい予想を立て、対処出来なかったのか、今なお、同じ過ちを繰り返しているような気がしてならない。

 客観的な人口減少の原因を知り、減少が容易に止まらないことを知りながらも、毎回同じような希望的観測のこの青線を引かざるを得なかった政府御用の研究所の職員の心が思いやられる図表である。