最近は総理大臣までが敵基地攻撃能力だなどと物騒なことを言い出すようになってきた。憲法9条には、はっきりと軍隊は持たないとされているのに、今では世界でも有数の軍隊を持ち、憲法違反としか言いようがない。それどころか、明らかに自衛の範囲を超えた先制攻撃まで口にするようになって来ているのである。
その上、中国の台頭による米国の戦略によって、沖縄や南西諸島の島々に自衛隊の基地を次々に整備し、米軍と共同運営すると言い、次々にアメリカの武器を大量に買い、着々と軍備を整えている。しかも、「台湾有事は日本の有事」などと言い出す者さえおり、戦争の準備が着々と進められていると言っても良いぐらいである。
渡辺白泉の句をもじれば
戦争が廊下の奥に戻って来た
まるでかっての悲惨な沖縄戦や太平洋戦争のことなど、なかったかのようである。しかも一番危険なことは、今の自衛隊はアメリカ軍の指揮下にあることである。この南西諸島の軍備増強もアメリカの指示によるものとしか考えられない。
こちらからの敵基地攻撃があれば、当然相手からの反撃を受けることを考えなければならない。小さな島の基地が攻撃を受ければ、住民は逃げる場所もない。故郷を離れて島から逃げ出すしか生きる望みのない、悲惨な目にあうかしかなくなる。沖縄戦の二の舞である。
アメリカにとっては、沖縄も南西諸島も攻撃に便利な前線基地に過ぎない。自衛隊に戦わせればよいし、攻撃され破壊されても、逃げれば良いだけである。沖縄の住民の犠牲など、戦に伴う二次的な問題に過ぎない。
基地がなければ攻撃されないだろうし、戦争が起こっても、孤島は戦力を持たずに無防備で中立を保てる可能性もある。アメリカ軍は日米安保条約があったとしても、決して日本を最後まで守って戦うようなことは考えられない。
前線基地はその時の戦略によっては、放棄した方が良いことも起こる。太平洋戦争の初戦時に、マッカサーが ”I will return”と言って、アメリカへ逃げ帰ったことを思い出す。その後、フイリピンが戦時中どんな目にあったかは歴史が教えてくれている。
朝日声欄に、私と同じ同じ93歳の老人が「戦争を知らない世代が今、国を主導していることに私は強い危機感を抱いた」として自分の戦時中の体験に基づき、「現今の国際情勢では自衛は欠かせないが、敵基地攻撃能力と改憲は、国民を再び不幸に陥れることになる。戦争の悲惨を体験した者の責務として絶対に反対する」と述べている。
またその二週後の声欄には、戦争で父を亡くした八十三歳の老人も、「先制攻撃は侵略に他ならない。我が国の対応は他国の攻撃発射の後の自衛と迎撃の範囲にとどめねばならない。それが日本国憲法の認める限度である」として敵基地攻撃能力と先制攻撃は絶対に認めてはならないと訴えたい」としている。
アメリカの言いなりでは、戦争が起これば、今度こそ日本は莫大な損害を被り、再起不能の破滅の不知に陥りかねないであろう。日米安保条約を廃棄してでも、日本はあくまでも、不戦、中立を保つべきである。