死に遅れたか?

 戦後のベービーブーマーが大挙して七十五歳の後期高齢者になるのがおよそ2025年であり、

それから先が大変で、少子高齢化で、労働人口は減るのに老人が多くなり、若年者は減少した人数で産業活動も維持しなければならない上に、少人数で増えた老人の世話もしなければならなという社会問題に直面することになる。

 こういうことは上の表からも早くから分かっていたことであるが、危機だ危機だと言われながら、結局、根本的な対策は何も取られないまま、もうその危機は始まりかけている。今後も危機を深めながら進んで行くであろうことは明らかである。

 当然、私にとっても、こういう必然的な成り行きは早くからわかっていたので、後期高齢者の仲間入りした頃から、遅くとも九十歳ぐらいまでには死んだ方が良いのではないかと思ったりしていたものであった。しかし、気がついたら、いつしかかもうそれを通り越して、今年はもう九十五歳になる。

 一昔前までは、年寄りは大事にしましょうとか言って、喜寿や米寿には自治体がお祝いの品を送ったり、老人保険がタダだったりと、老人はチヤホヤされた時代もあったが、最近では、少子高齢化と言っても、労働力の減少の方が切実な問題であり、老人も出来るだけ働かせようとする時代になってきた。

 定年も六十歳から六十五歳へと引き上げられ、更には70歳までは働けるだろうと働かされそうである。年金の受給も遅くしたりしている。長年働いてやっと六十歳で定年を迎え、やれやれと思っても、今ではもうゆっくりしておれない。老いに鞭打って働かないと老後が心配である。

 老人も働ける間は働け。働けなければ早く消えてしまえと言わんばかり。介護保険はやがて人手不足で立ち行かなくなりそうである。にも関わらず、若者者が支えてきた老齢年金への補助にまで目がつけられ、若者のために老人の金が出さされる。経済優先のコロナ対策でも、抵抗力の弱い老人無視の2類から5類への変更なども行われる。

 こうなることは初めから分かってたし、今後まだまだひどくなるであろうことも確かであろう。それにもかかわらず、いつの間にかその混乱の中に巻き込まれて行きそうである。しかし、寿命ばかりは自分で決められないのが悲しい。死に時を逃してしまったようだが、今更仕方がない、運を天に任せて自然のままに任せるより仕方なさそうである。