外国人労働者は労働力としてでなく、人間として受け入れよ

  少子高齢化に伴う人口減少で、人手不足が大きな社会問題となり、「技能実習制度」や留学などによって在留している外国人のアルバイトが、何処でもといってもよいほど見られるようになっているが、それでも人手不足は深刻のようで、悩む業界などに突き動かされて、政府はいよいよ即戦力となる外国人材を幅広く受け入れる仕組みを急いで作ることにしたようである。

 この秋にでも国会で出入国管理法などを改正し、介護、外食、漁業、建設業や農業など14  分野での不足する人材の確保を図ろうということらしいが、それでも政府はあくまで「技能実習制度」などにこだわり、「移民政策」とは違うと強調している。

 人手不足は何とかして外国からの労働力で補いたいが、社会的な種々の問題を伴うことになる移民はあくまで避けたいというのが政府の本音のようである。しかし、安上がりの労働力だけは欲しいが外国人はいらないという、そんな虫の良い話が通用するものであろうか。

 これまで続いてきた「技能実習制度」の結果をを見ても、本来の実習よりも単純労働力とみなしていることが多く、そのため「技能実習」の名目と実態の乖離によるトラブルも起きている。そのための自殺者も出ているし、やがて国際的な問題にもなりかねない。また、既に日本に定住してしまっている外国人も多いし、そんな外国人の多い地域では地域社会とのトラブルも時として見られる。

 移民としての本格的な施策を取らないことから、それら外国人の家族の日本社会への同化にも問題が多いようで、例えば、知恵遅れの子たちを対象とした特殊学級へ通う外国人の子供の割合が日本人の子供と比べてはるかに多いそうだが、このことは外国人の子供たちの日本語教育や、日本の生活への同化がうまくいっていないことを示唆しているものであろう。

 外国人から一時的に労働力だけを求め、不要になれば打ち切るといった安易な方法はいつまでも続けられない。労働力があれば、必ずそれを持った人間がいる。人間がおれば、必ずその生活や家族を伴う。また労働があれば、必ず関係性が生じる。いつまでも労働力だけを利用することは出来ない。

 外国人を受け入れるのであれば、「技能実習」などといった欺瞞とも言われかねない姑息な方法を止め、移民として、日本人と同じ人間として受け入れるべきである。日本語や日本の風習生活を教え、文化の違いを越えて、日本での生活を確保し、同化して日本人として一体化した社会の一員となってもらうべきであろう。

 それこそが将来のトラブルを避け、新しい日本人を作り、この国の発展につながる道であると思う。