生活習慣病は個人の責任か

 肥満、糖尿病、高血圧、高脂血症など、いわゆる生活習慣病は近代社会では最も多い疾患として知られているが、罹患者数が多いこともあって、それらに対するあらぬ偏見も多く見られる。それらを持っていることがハンディとなることもあり、例えば、糖尿病の人は生命保険でも特別扱いされるなどの差別を受けることにもなる。

 外国では、このようなスティグマともなり易い名称をを避けるため、その名称を変えようという動きもある様である。lifestyle related diseaseと言われることが多いが、これをやめて、non communicable disease (NCD)としてはとの案も提唱されている。日本ではまだNCDという呼び方はポピュラーではないが、かって成人病などと呼ばれることが多かったが、日野原医師等が提唱した、生活習慣病という名称が、今では広く使われるようになっている。

  しかし、私は初めから生活習慣病という呼び方には反発を感じて来た。言うなら、社会(生活)習慣病とでも言うべきだと主張してきた。肥満、糖尿病、高血圧、高脂血症などといった異常は、日頃からの生活習慣の歪みが続いた結果起こることが多いものなので、生活習慣病と言われるようになったわけだが、こうした生活の歪みの原因は、それを持った個人の責任というより、その時代の、その社会の習慣の方がより大きな関与因子であり、個人が非難される生活習慣病というより、社会的生活習慣病とでもいうべきものではないかと思うからである。

 個々の個人の生活習慣の嗜好というよりも、社会として半ば強制される生活習慣の結果であり、個人はその犯人というより被害者なのである。その時代の社会の習慣の傾向によって、その傾向に弱い人達から、その社会の歪みが現れることになるのである。

 その証拠に、戦前、戦後しばらくの日本では、肥満も糖尿病も極めて少なかったものである。高血圧に関しては、かっては高塩分摂取の貧弱な食事などの低栄養による脳出血は多かったが、動脈硬化による脳梗塞心筋梗塞などは、まだ珍しい病気であったのである。

 現在のように、生活習慣病と言われる疾患が問題になり出したのは、日本では、まだ戦後の高度成長時代頃からの、国民の生活様式の変化が進んで来てからのことである。この生活習慣病が単に個人の悪い生活習慣によるものではなく、社会の生活習慣の歪みの方が大きく関与していることが分かるであろう。

 従って、それに対する対策も、個人の生活週間の歪みを非難するよりも、そうした生活習慣を強い勝ちな社会の習慣を是正することを踏まえた上で、個人の生活習慣の改善をを薦めるのでなければ、社会的な生活習慣病対策は成功しないであろう。