多様化する日本人

 もう遠い昔のことになったが、私が初めてアメリカへ行った時、貨客船で始めて上陸したサンフランシスコで見た街を行く人々の姿が印象的で忘れられない。五月の初め頃だったような気がするが、人々の服装がマチマチなのに驚かされた。毛皮のついたコートを着ている人のすぐ横をまるで水着のような薄着で肌を露出した人が歩いていくのである。日本と違って背広姿よりも普段着のような格好の人が多いのにも驚かされた。

 今でこそ日本でも人の服装はいろいろになったが、その頃の日本では「衣替え」の習慣が当たり前で、五月いっぱいはまだ冬服で、六月一日から一斉に夏服に着替えるのが普通。人々はだいたいそれに合わせて服装を選んでおり、同じような季節の服装をしていた。それに学校でも会社でも制服が多かったので、六月一日は皆が一斉に夏服に着替えるので、一晩で急に夏になった感じがしたものであった。

 サラリーマンも殆どの人が一様に紺系統のスーツを着ており、サラリーマンの制服のようだったが、夏服に着替えるのも、やはり衣替えの日を目安にしていた。その頃の思い出としては、朝の通勤時など皆が似たような格好で、その大群が地下道をぎっしり埋めて一斉に職場に急ぐので、その姿はまるで野ネズミの大群が下水道を通って行くようで異様な感がしたものであった。

 そんな日本から初めてアメリカに着いて見ると、街を歩く人々の様子が全く違っているのに驚かされた。もちろん服装だけではない。私のように背の低いものにとっては、先ずは何より、アメリカ人が皆大きいことである。しかし、よく見ると中には案外小さい人もおり、平均的にはもちろん背が高いが、日本では考えられないぐらいばらつきが大きいことも特徴であることに気がついた。

 横幅も日本では見たこともない肥満の人がいくらでもいるが、痩せた人もいる。子供の頃、アメリカ映画で痩せて小柄なローレルと大きくて太っちょのハーディというコンビのコメディアンが流行っていたが、そんな組み合わせも決して特別ではなく、当たり前に見られ、顔つきも、骨格も、肉付きも、皮膚の色も皆様々で、同じ人間でもこんなに色々あるのかと多様なのに驚かされた。

 当時の日本人は背丈も横幅も今よりずってバラツキが少なく均一だったので、なおさらギャップが大きかったのであろう。ことに学会などに出て、世界中から集まった人たちを見ると、それこそありとあらゆる人種、肌の色、顔つき、背丈、肥満度、服装、言語、行動に至るまで多様で、見慣れた均一な日本の光景とはあまりにも違っていた。しかし、これがむしろ世界の人間の姿なのだ。日本はそのほんの一部に過ぎないのだと強く感じさせられたものであった。

 ただこのように色々な人々の世界を認識できたのは良かったが、病院で仕事をしていて嫌だったのは、医者は白人が多く、ナースは黒人、掃除夫はプエルトリコ人と言ってもよいぐらい人種と職種、社会的階層が並行していることであった。まだ公民権運動が起こりかけていた時代のことである。

 それから半世紀経った今の日本はどうであろう。毎日毎日同じような生活を暮らしていると気がつきにくいが、日本もその間にずいぶん変わってしまったようである。もう「衣替え」などという習慣も廃れたし、今では学校の制服もない所が多くなった。昔は若い娘たちの憧れの的であった角帽に詰襟の黒い制服姿の大学生などでさえも、今の若者はテレビドラマぐらいでしか知らないのではなかろうか。

 若いサラリーマンで、今頃スーツを着、ネクタイを締めているのは新入社員か営業マンぐらいかも知れない。省エネが叫ばれるようになってから夏場でなくてもネクタイを締めている人が減ったし、サラリーマンでも色々な格好をしている人が多くなったように見える。いろいろな職種が増えたことや、定年退職後の人が増えたことも関係しているのであろうが、電車の中で見る男性の服装も昔と比べるとずいぶん変わって多様になったように見受けられる。

 春先の今頃は日本でもそれこそかってのアメリカのように、厚手のコートにマフラーまでした人の横に短いスカートの下はストッキンがだけの長い足をした女性がいたりしても誰も変には思わない当たり前の光景になっている。

 服装ばかりでなく、体格も昔は日本では小柄で痩せ気味の引き締まった体つきの人が多かったのに、最近はアメリカほどではないが、太った人や太っていなくてもお腹の出た人が多くなった。背丈もずいぶん高い人が増え、昔は電車のドアにつかえるような人を見ると思わずびっくりさせられたものだったが、今頃はそれぐらいの人はいくらでもいる。 

 女の人でも、ひと頃は、何も六頭身の女性が短いスカートを履いて大根足を出さなくても良いのにと思ったものだが、近頃は惚れ惚れするほど足が長くて背の高い人が増えた。背の高い同士のカプルなどを見ると戦後間もない頃にマリリン・モンローとジョージ・ディマジオが来日した時に両人の大きさに驚いたことを思い出す。

 こうして日本人も昔と比べると、いつの間にかずいぶんばらつきが多くなったものである。外見だけでなく、生活習慣や文化も、長くなるので書けないが、昔と比べるとずいぶん変わってしまって、これも色々とばらつきが大きくなっている。

 そこに加えて、最近は外国出身の定住者や旅行者も増え、人々の多様性をさらに増やしているように思われる。地元の池田で見ていても、西欧系の人も増えたし、外見からは日本人と区別のつきにくいアジア系の外国人も増えた。心斎橋あたりに行くと「今日は」と言うより「ニーハオ」と言った方が通じやすい感じさえする。

 これだけ多様化が進むと街を歩くのが一層楽しくなる。スカーフを頭に巻いたイスラム系の人にもよく出会うし、英語以外を喋るコーカシアンも増えた。色々な国から来ている人がいるのであろう。言葉が通じたら色々聞いてみると世界が広がり、きっと楽しみが倍増することであろう。

 折角この国にも、色々な面で、このように多様性が広まったのだから、いつまでも島国根性村社会に捉われずに、「単一民族」などと言わないで、なんとかこれをもっと広げていきたいものである。多様性は民主主義と馴染みの深いものであり、どうしても狭い独りよがりになりがちなこの島国の人たちの視野を広げてくれるものである。

 最近は、これに反対するかのように、民主主義の否定、独断的な自国礼賛の偏狭な政治の戦前の日本に戻りたいとする政府の意向が強くなってきているが、多様な個性を発揮できる自由と民主主義を是非守っていきたいものである。

  「もう一度日本」と言っても、画一的な国防色一色の大日本帝国にだけは戻りたくないものである。