中秋の名月

 今年の夏は本当に暑い日が続いた。昔なら30度を超えれば特別に暑い日だというように感じられたものだが、最近は35度を超えるぐらいでないと、猛暑だとか酷暑だとか言って貰えない。暑さの記録はもう40度にまで達している。

 それに、いつまでも暑さが続くので閉口させられる。昔から「暑い寒いも彼岸まで」と言われて来たが、今年など、彼岸を過ぎても35度近くにまでなる。10月は昔なら衣替えの季節で、制服も10月1日から一斉に冬服に変わったものであったが、今年などは、10月になっても、背広など着ている人はまだ少数派である。流石に朝夕は多少涼しくなったが、昼間は今でも尚28、29度から30度になる所まである。

 それでも驚くべきは、彼岸になれば、あちこちに例年通りにちゃんと曼珠沙華が咲くし、ススキもいつの間にか穂を出している。コスモスも風に揺られている。まるで外の温度よりも温度差に敏感なのか、まるで暦を知っているかのようである。

 ところで、9月の末になって、夜に雨戸を閉めようとしたら月が丸くなっているのに気がついた。すっかり忘れていたが、もう中秋の名月が近いようだ。まだ何も話を聞かないので、もうすぐなのであろうと思っていたら、今年は2日後の10月1日の夜がそうだった。

 丁度その日にたまたま、久しぶりに妙見山に行ってみたが、途中の田舎道で、道端のすすきを取り、近くに咲いた曼珠沙華と一緒にして、持って帰ろうとしていた老婆を見た。恐らく、夜になったら、家でススキを飾って、月見をしようという魂胆だったのではなかろうか。

 幸い中秋の名月の夜は晴天だったので、窓を開けっ放しにしたまま、長時間ゆっくりと名月を眺めることが出来た。かすかに叢雲のかかった満月も風情があって良いものだが、雲ひとつない空に名月が煌々と光り、物の影さえ作っているのも見飽きないものである。

 月を見ていると色々なことを思い出す、戦後まだ間もない頃、高校時代に月見に行こうと友人と二人で出かけ、寒くなって慌てて帰ったが風邪を引いてしまったことがあった。もうその友人もいない。旅先で山の端にかかった名月を眺めたこともあった。忙しくて名月どころではない時代もあった。

 歳をとって夜早く寝るようになって、雨戸を閉める頃に、この中秋の名月を眺める年も増えた。名月を眺めて、ついアメリカにいる娘や孫たちに思いを馳せたこともあったが、じっと月を眺めていると、地上の嫌な出来事も、しばらくの間、忘れさせてくれるものである。もう92歳の秋ともなれば、あと何回中秋の名月を見れるだろうかという思いが、ふと横切ったりもする。

 それにしても、月見の夜は以前はもっと寒かったものである。今年のようにパジャマ一枚のままで、大きく開いた窓辺で、いつまでも気持ち良く名月を見続けることが出来るのは、矢張り地球温暖化のためか、地球の環境が変わって来ていることの印ではなかろうか。

 今年も、中秋の名月を眺めながら、ゆっくりと悠久の時間に浸った後に眠りにつくことが出来た。