敗戦から75年

 今日は8月15日。敗戦の日である。いつに間にか、もう75年も経ってしまった。若かったが、それまでの私の全ての基礎であり、それによって生きて来たすべてが失われた日であった。

 敗戦の前頃までには、毎日の生活の中でも、日本がいよいよ追い詰められて、どうにもならなくなってきていることを、嫌でも分からせられて来ていた。

 沖縄もサイパンも、硫黄島さえ陥落し、日本の大都市は殆どが焼け野が原となり、アメリカの飛行機が我が物顔で跳梁していても、こちらは満足な迎撃さえ出来ない。海軍でありながら、もはや軍艦がないので、陸戦の訓練ばかりになる。それも第四匍匐前進や爆薬を抱えて敵の戦車に飛び込む練習などというものまであった。

 7月終わりの空襲では、江田島の湾内にいた、聯合艦隊の旗艦になっていた重巡の「大淀」も、長らく湾内にいて馴染みになっていた、スマートな形をした巡洋艦の「利根」も沈み、その他にも、重油がなくて動けず、あちこちの島影に分散逗留していた軍艦も殆どが沈められてしまった。

 その上に、8月6日にはあの広島の原子爆弾である。広島から20kmぐらい離れているのに、あの「ピカ・ドン」を直接、身に感じ、もくもくと原子雲が巻き上がっていくのをこの目で見ていた。初めは新型爆弾と言われたが、やがて原爆なることもわかり、被害の大きさも伝えられて来た。

 もはや誰が見ても戦争に勝てるとは思えなくなっていた。それでも、日本のことしか知らない忠君愛国の情熱に燃える少年には、まだは負けることなど考えられなかった。天皇陛下の御為には死んで国を守ろうと、まともに考えていた。

 ラジオなどでは、しきりに「本土決戦」「最後の戦い」と言われるようになっていた。誰も負けるとは言わないが、もし、「最後の決戦」で日本が勝つのなら、日本軍がアメリカ本土に攻め入ってからのことなのにと、言葉の矛盾に困惑させられた。それでも周りは皆、帝国海軍の軍人か、その関係者ばかりであるから、誰も負けるとは言わない。

 「天佑神助」だの「神風が吹く」などと言われたが、まさかそれをまともに受け取るわけにはいかない。それでも負けるとは誰も言えないではなく、思えなかった。どうにも言いようのな所まで追い詰められて、最後に言えることは「どうにかなるだろう」という言葉だけであった。私もやがては特攻機にでも乗って、国のために殉ずる日が来ることになろうと、次第に追い詰められていく雰囲気のようなものをも感じ始めていた。

 こうして8月15日が来た。丁度、正午に全生徒が兵学校の校庭に整列して、いわゆる”玉音放送”を聞いた。それ自体は雑音が多く、聞き取り難かったが、戦争に負けたのだということは判った。終わってから、校長の説明があり、我が国の敗戦が確実になった。校長は「我々の時代には、我々は取り返しのつかない重大な失敗を犯してしまった。我々はその責任を取らねばならない。しかし、どうか君たちの世代で、将来いつの日にかは、必ず、この仇を討って欲しい」というような話をした。

 それでもなお、必勝しか考えられなかった愛国少年には、日本が負けたという事実をすぐには受け容れるれることが出来なかった。頭の中は真っ白であった。どう整理して良いかも分からない。誰も負けたことに対する議論などする者もいなかった。

 まだ実戦の経験のない若者ばかりである。無念遣る方ないが、どうすることも出来ない。沈黙と空白の日が続いた。日本刀を抜いて、「帝国海軍は最後まで戦う。貴様たちも故郷に帰っても、最寄りの特攻基地へ行け」という勇ましい上級生たちもいたが、皆がそれに同調する雰囲気でもなく、沈黙を守ったままであった。学校側から引き揚げの指示が出るまでは、皆が虚脱状態のようなもので、無為に日が過ぎていったような気がする。

 こうして8月末に、原爆で荒廃した広島の焼け野が原を通って、広島駅から無蓋車で大阪へ戻った。しかし、まだ戦時気分は抜けず、「アメリカ軍が来たら、男は皆殺し、女は皆犯される」などの噂が飛び、どうしたものかと考えたりもしたものであった。疎開していた千早赤阪村の近くの人には、「流石に海軍へ行っていただけに目付きが違う」などとも言われたが、どんな目つきをしていたのかは知らなかった。

 そこまではまだ良かった。苦難の道はそこから始まった。世の中は急速に変わったが、大日本帝国に純粋培養されて、他の世界を全く知らずに成長した私にとっては、急速に変化する世の中について行けず、急変した人々に無性に腹が立った。単に戦争に負けたということではなく、それまでの自分の全てが失われ、虚無に陥った。どう生きていくべきか分からなかった。

 95年の人生を振り返ってみても、敗戦の日までと、その後の人生では、はっきりと区別出来る人生であったと言えるが、それについては、これまで度々書いているので、ここでは省略する。以来私は無神論者になった。