忘れ難い光景ーー映像の発展とともに

 私の子供の頃にはまだテレビもなかったので、ニュースはもっぱらラジオで聴くものであり、時に映画館で何かの映画の前座にニュース映画を見るのが普通であった。

 当時は知らない街や地方の景色、珍しい花や鳥などはもっぱら絵葉書や図鑑などで見て、想像をたくましくしたものであった。しかし、その後の映像の発展は素晴らしく、先ずは、次第に写真や映画などで色々な映像を見れるようになり、静止画だけでなく、実際に動く映像も見ることも出来るようになり、より臨場感が強くなった。

 1961年のことであるが、私がアメリカで車で走りながらニューヨークの摩天楼を初めて見た時、まず頭に浮かんだのは「絵葉書と一緒だなあ」という感激であった。子供の頃からマンハッタンの摩天楼の絵葉書は何度も見ており、当時は日本には40米以上の建物はなかったので、世界にはこんな所があるのかと憧れの風景だったので、実際に見て、反射的にすぐそう思ったのであった。

 その後、テレビが普及してきて、誰もが何処ででも、実際の出来事をテレビの動画として観れるようになり、何か事件や災害があっても、単にある視点からの一部の写真でなく、動画として見ることが出来るようになって、出来事がより身近に感じられるようになった。

 当時のことで思い出すのは、ある時、まだ小さかった娘と電車に乗っていて、車窓から田植えをしている風景が見られたことがあった。その時、娘が「あテレビと一緒だ」と叫んだのが忘れられない。もう都市化が進んで田植え風景など滅多に見られなくなっていた頃であった。恐らく、テレビで田植えをしている場面を見て珍しく思っていた娘が、たまたま実際の田植え風景に出くわして、先に見たテレビの架空の世界を現実に見て驚いたのだったのであろう。テレビの映像が先で、実物が後からそれに照合される時代に驚かされたのであった。

 そのうちにテレビがますます普及し、旅行番組も多くなり、あちこちの都市や地方の景色がテレビで紹介され、有名な観光地などは繰り返しあらゆる方向からの映像が流されているので、実際にそこへ旅行しても、ただテレビで見た印象を確かめに行ったに過ぎないようなことにさえなった。例えば、パリのノートルダム大聖堂など、最早あらゆる角度から見た姿を知っているし、現場に行っても見えない、空からの映像さえ知っているのである。

 普通の都会や田舎の風景ばかりでなく、今や世界中のすべての、山であろうと谷であろうと、南極から北極まで、あらゆる所の映像がテレビで流されるので、家に居ながらにして世界中のあらゆる所の映像が観れるといっても過言ではない。こうなるともう絵葉書などは昔の姿を示す単なる骨董品になってしまった。

 映像は大写しだけではない、限られた視点や、変化するある時点、ある瞬間だけの映像も豊富になった。あらゆる物から映像が作られるようになった。平和的な映像ばかりではない。事件や災害などこそ、テレビで臨場感を持って見るに相応しい。インドネシア津波災害があった時に、津波が海岸に押し寄せる姿が、まるで自分がそこにいるかのごとき映像であったことを覚えているし、イラク戦争で、アメリカのヘリコプターからの映像で、地上にいる人間を計画的に殺戮する実像などもあった。

 しかし、何と言っても圧巻であったのは、9.11.の時のことである。飛行機がツインビルに実際に突っ込み、ビルが崩壊する姿を実時間で見たことであった。現実のことがまるで架空の映画のストーリーの上のことのようにしか思えなかった経験であった。こんな歴史的とも言える瞬間を実際に自分の目で見ることなど頭になかっただけに、今なおこの衝撃的な映像を忘れることは出来ない。

 次いで忘れられないのが東日本大震災の時の映像である。原子炉の爆発の映像もその恐ろしさに不安と恐怖に震えながら見たが、最も印象的で今も忘れられない映像は、津波が陸地をどんどん侵食し、もうすぐ集落を襲ってくると見ている間に、津波が集落に達し、それまでじっとしていた家屋が浮かび、上がり流されていく。車が逃げようとして走っているが、渋滞で進まない。そこへ津波の先端が来て忽ち車が押し流され、津波がどんどん陸地を侵食して進んでいく様が連続で流されていた。

 また山へ逃げた人が後から逃げて来る下の方の人に、早く早くとせき立てていた声や姿が今も忘れられない。こちらはテレビで見ているだけでどうすることも出来ない。ただ呆然として惨事を見ているよりなかっただけに、今も嫌な思い出として忘れられない。

 映像がこれだけ発達してくると遠く離れた場所の出来事でも、これだけ身近に感じさされるようになったのだなあと思っていたら、映像の進歩は更に止まるところを知らないようである。

 最近はスマホの発達で、個人的な映像が広く出回るようになり、いろいろな個人の撮った映像で、より身近な生活の中での思わぬ映像に出くわすことも多くなった。いろいろな違った環境での、小さな個人的な日常茶飯事のようなことが多いが、中には社会の中に埋もれがちだが、決して見逃してはいけないような映像もある。

 安倍首相の選挙演説時にヤジを飛ばしたり、プラカードを持っただけの聴衆が警官に取り囲まれて、無言で排除される映像などは、映像がなければ社会的に無視されてしまう出来事だが、このような小さな不法行為が小さなスマホの画像に記録されることは、民主主義を守る上でも大事なことだと思われる。

 最近私も見たが、アメリカで白人警官が黒人を逮捕して、膝で首を押さえつけ、息が出来ないとの訴えをも無視して、8分45秒に亘って抑え続け、ついに殺した映像が、初めから終わりまでスマホで取られ、FBに出回っていた。あまりにも残忍なその映像が元で、全米での連日に渡る大規模なデモが起こり、トランプ大統領が軍隊を動員すると言って、国防省からの反対の声が上がり、問題がさらに大きくなっているようなことが起こっている。

 このように近年の映像の発展は素晴らしく、映像がどこででも誰にでも簡単に扱えるようになるとともに、市井の無数の動画を誰もが共有することが出来るようになると、弊害もあろうが、これまで無視されていた貴重な映像が社会正義や民主主義のために貢献することにもなりうるであろう。出来るだけ多くの人たちが出来るだけ多くの映像を記録することは社会の発展のためにも好ましいことのように思われる。