風呂の蓋

 SNSを見ていたら風呂の蓋の話が出ていた。「風呂に蓋って何だろうか」と一瞬怪訝に思ったが、写真が添えられており、それを見ると突然古い記憶が蘇ってきた。そういえば、昔の日本の風呂には蓋があった。それを思い出して急に懐かしい気がした。

 記事は風呂の蓋を清潔に維持するためには風呂の「換気」より「乾燥」が大事だというものであったが、写真で見ると蓋はプラスチックでクルクル丸められるようになっていた。現代風のプラスチック?の浴槽に合う様に作られたものであろう。

 しかし、私に記憶に出てくるのはそれとは違って、木の湯船に被せた、取っ手のついた木の蓋である。風呂の様子は私の子供の頃と今ではすっかり変わってしまった。昔の日本の風呂場の、薄暗くて湯気が立ち込めていて、向こうの壁もぼんやりとしか見えない感じの光景が目に浮かんでくる。

 風呂場は元々は土間になっていたので、そこに置かれた大きな桶で作られた浴槽は湯舟などとも言われていた。多くは木製で、下の横に焚口がついているものが多かった。今の様に沸かした湯を浴槽に注ぐのではなく、水を満たしてから、浴槽の下に繋がる焚き口から薪などを燃やして湯を沸かす仕組みになっていた。当然、早く沸かすためには蓋が必要だったのであろう。

 風呂桶の下方に焚口があり、そこで直接火を燃やすものが原型であり、「五右衛門風呂」といって、大きな鉄製の釜をそのまま風呂桶としたものもあったが、私の子供の頃の多くの家での浴槽は、家の中の風呂場に作りつけられており、焚口は建物の外にあって、外から薪などを入れて炊く様に改善されているものが多かった。

 室内の湯船の大きさは色々だったであろうが、普通の家庭用のものでは、大約1mから1.5m四方ぐらいの大きさで、深さは50〜70㎝程度と深いのが普通であった。入浴する人はそこに座ったり屈んで入ることになっていた。小さな子供は立って入るか、大人の膝の上に座って入ったものであった。

 あらかじめ湯船にバケツで運んで、水を入れ、それを沸かして、適温になって用意が出来れば、湯加減を見て、同じ湯船に家族全員が順繰りに入るのが普通だった。入れ替わり立ち替わり入るので、入浴を終えた人は湯が冷めない様に蓋をして次の人に譲る様にし、それでも冷えれば追い焚きをして、温め直したりしたものであった。そのために蓋が必要だったのである。

 日本の伝統的な入浴方法では、先ず深い風呂のお湯に首まで浸かって、しばらくじっとして体が温まった頃に、一度湯から出て湯船の外で体を洗う。洗い終えたら、湯をかぶって石鹸などを洗い落としてから、もう一度湯船に浸かる。というのが一般的な風呂の入り方であった。

 同じ湯を何人かでシェアして使うことになるので、湯を汚さない様に、風呂桶の中では静かに体を浸して温まるだけで、そっとしていることが望まれたわけである。

 最後の人が使い終わるまで、出来るだけ湯が冷めない様に、また湯が汚れない様に注意して使うのが入浴の作法とされていたので、その一助として風呂桶の蓋も大事な役割を負わされていたわけである。

 ところが時代が変わって、現在の様に洋式や、それに近い細長で浅い浴槽が普及し、水道栓から直接浴槽に湯が入れられる様になると、事態は変わってしまった。

 簡単に浴槽を湯で満たせて、湯の貴重さも薄れ、浴槽を満たす湯の量も少なくて済み、同じ湯を何人かでシェアする必要もなくなって、利用する人ごとに湯も使い捨てられることとなると、空の浴槽に蓋は不要となり、いつしか蓋は消えてしまったわけである。

 我が家の場合も、いつ頃からであろうか。もう何十年も前から洋式のバスを利用しており、湯船の中で体を洗って、そのまま出て、外を濡らすこともない使い方をしてきたので、湯船の蓋など全く必要がなく、いつの間にか忘れられ、記憶からも殆ど消えかかっていたので、今回驚かされたわけである。

 給湯などが便利になった今でも、昔ながらの風呂で、昔ながらの入り方をしている人もおられ、人様々であろうが、ふと気がついてみると、長い生活の間に、風呂だけのことではなく、他の生活の備品やその使い方にしても、いつしか、すっかり変わってしまっていることに気がついて驚かされることがある。