統計を操作しても真実は変わらない

 厚生労働省の「毎月勤労統計」などの不正問題で、政府の統計に対する信頼が揺らぎ、国会でも野党の追及が続いている。

 これまでも、裁量労働制で働く人の方が一般労働者より労働時間が短くなると安倍首相が国会で答弁して、後で誤りを認めたり、ひとり親家庭の大学進学率が24%から42%に上昇したと誇ったのが、比較対象の誤りだったと判明したりと、間違った統計の利用が繰り返されている。いずれも比較してはならないものを、出てきた数字のみから比べていたものである。

 その上、政府はアベノミクスの効果を見せるために、首相秘書官が厚労省に働きかけて統計結果を都合の良いように操作している疑いも濃厚である。GDPの伸びが昨年6月に3.3%と宣伝されたのが、統計問題が追求されて2.8%に下方修正され、さらに日を変えて統計委員会の見解として1.4%と半減したようなことも起こっている。

 統計は数字を色々いじって、見せかけは変更できるが、統計の元になる真実は変えられない。いつしか真実が人為的な操作にしっぺ返しをすることを忘れてはならない。

 戦後に吉田茂元首相が「戦時中から、とかくわが政府は故意に、または無意識的に、自分に好都合な数字のみを発表することが癖になっていた」と記しているそうであるが、その誤った統計による判断が、あの無謀な戦争に結びついたものであり、その教訓を忘れてはならない。

 統計は真実を反映するためのもので、これが好ましいものであろうとなかろうと、表面を取り繕っても、真実が変わるわけはないのだから、真実と統計の乖離が大きくなると、必然的にいつかは何処かで破綻が生じることになるのである。

 そのために戦後の日本では「統計の真実性確保」をうたって「統計法」が出来たりして、出来るだけ実態を表す統計を取るように努力されてきた歴史があるのだが、戦後70年も経つと、いつの間にか、統計がまた次第に軽んじられ、数字が操作されて、関係者の願望に左右されるるようになってきたことが、最近の問題に結びついたのであろう。

 統計は真実を反映させるものであるから、冷静な目で見るべきものである。 真実に基づかなければ正しい行動は出来ない。統計を恣意的にいじれば、一時的にはその操作によって人を欺けても、いつかは真実と統計の乖離が大きくなって、必ずや何らかの破綻に結びつくことになる。

 例え止むを得ない事情で統計を操作するにしても、元のデータは必ず保管しておくべきである。真実は変わらないから、操作した本人が真実に裏切られることになる。統計は操作出来ても真実は操作出来ないことを知るべきである。

 経済的な種々の指標の数字と、多くの人が日常生活で感じる実態との乖離が強い今日のような時には、一度統計の分析方法や数値を見直して、真実に近附く努力をもすべきであろう。