袖口の数珠

 先日電車の座席に座っていた時のこと。比較的混んだ車内で、私のすぐ前にはサラリーマン風の男が立っていた。私の目のすぐ前あたりで、左手でスマホを支え、右手を激しく動かしながら一心にスマホを見ている。何を見ていたのかはわからないが、金色のスマホであった。

 見上げるとかなり背の高い、少し毛深い実直そうな中年の男で、通勤途上のようであった。一度見上げて一瞥した後は、男が私のすぐ前に立っており、目の前でスマホを見ているので、私の視野に入ってくる光景は男がスマホをいじっている両手の手首から先ぐらいの範囲となり、後は視野から外れてしまっている。

 視野の中ではスマホを支えている左手の薬指には金色の結婚指輪がチラと光っているが、ふと見るとスマホにかざしている右手の手首には木製の少し大きめの玉の数珠がはめられていた。その奥には、やはり少し大きい目の腕時計も顔を覗かせている。おそらくこの数珠は幸運の印としてよく用いられているものの類であろう。

 背広姿に数珠はあまり似合わないような気もするが、案外このぐらいの年代のサラリーマンの男で数珠や幸運につながるとされる腕輪の類をそれとなくしている人も少なくない。勝手にこの人がどんな経緯で会社に行く時にもこの数珠をするようになったのか想像してみると面白い。

 日本では宗教というものが通俗化されており、多くの人は仏教徒ということになっていて、私は真宗だとか、私は日蓮宗だとか称してはいるが、お墓や法事はその宗派に従ってやっていても、仏教を全面的に信じているわけでもなく、正月は神社へ初詣に行くし、結婚式は教会であげる人も多い。

 神社へ行けば二礼二拍で頭を下げるし、お寺へ行けば仏像に手を合わせてお参りする。神社とお寺は混合しており、額に鳥居を掲げた仏像まである。神社もお寺も現世御利益主義だし、宗教といえないような民間の占いのようなものに心を動かされる人も多い。大きな岩や滝、山岳や朝日など、自然を拝むアニミズムも平気で取り入れられている。

 そのようなことも考慮に入れて想像すれば、この男性も恐らく誰かに勧められたか、あるいは何かの機会に、この数珠をいつも手首に巻いておけば幸運が巡ってくるかもとか、不幸を避けられるかもしれないと思い、軽い気持ちで始めたのではないだろうか。

 金の指輪をして、スマホも金色のを選ぶような人は一般的には顕示欲が強く、権威に弱い人が多いとされているようだが、運試しの数珠とも相性が良さそうである。恐らく今では数珠をはめるのも習慣となって、特段何かを考えることもなく、習い性というが如くに、いつも何の気もなく数珠をするのが当たり前になってしまっているのではなかろうか。

 こういう人は日常生活の上ではこの数珠をしていることさえほとんど忘れているであろうが、恐らく神社の前を通れば鳥居のところで頭を下げて通り越すであろうし、お盆には先祖の墓参りに行くであろう。クリスマスケーキも欠かさないかもしれない。そして誰かに何かをすれば健康に良いなどと言われれば、気軽にちょっとやってみようかと思うのではなかろうか。

 その人の顔や体格その他のところはあまり観察できなかったし、自分の推測が当たっていたかどうかは全くわからないが、手首から先の観察からだけでもその人の性向その他が想像できるような気がして、一人で密かに自分の観察を楽しんだひと時であった。