敗戦後アメリカに従属しながら巧みに戦前の日本を温存してきた日本の右翼勢力は時代とともにせっかく戦後に獲得した民主主義や平和憲法を捨てて「もう一度日本」などといって戦前の日本に戻そうとしているようである。
彼らは戦後初めのうちは経済発展だけを表に出して目立たぬようにしてきたが、次第に本性を表に出すようになり、最近では政府の主要な閣僚が殆ど日本会議の構成員という異常な事態にまでなっており、神社本庁その他の右翼勢力が次第に表舞台にまで顔を出すようになってきている。
彼らは更なる対米従属を強め、その走狗となって軍事力を増強し、言論を圧迫し、憲法を改正し、あわよくば近隣諸国と事を構えて経済停滞の打開を図ろうとさえ企て、やがては天皇を担いで、旧大日本帝国を復活しようとする動きさえ強めてきている。
戦争は急に起こるものではなく一段一段と準備が積み上げられていって、いざという時には、もはや誰にも止めることが出来ないようになってしまい、破滅にまで進まざるを得なくなるものである。戦前の歴史を振り返れば、同じようなことが今また現実に進んでいると見なければならない。
昭和初めの歴史を見ても、治安維持法の成立、共産党の弾圧、言論の弾圧、軍部の増長、満州事変、上海事変、二・二六事件、支那事変国民生活の統制、国粋主義の強要などと次第に積み上がり、ついには大政翼賛会、一億一心、東洋平和、満州は生命線などとなり、最後には日米戦争となって行き着く果てがあの敗戦となったことを思い出すべきである。
そのような同じ一環として近年のマスコミなどに対する政府の圧力なども見ていかねばならない。高石総務大臣のテレビ放送の電波停止の脅しや、この三月で三人ものキャスターが番組を降りるという異常事態など、マスコミに起こっている事態を等閑視するわけにはいかない。現にマスコミの報道は明らかに変わってきている。
特に日本では直接の禁令などがなくとも、空気を読んで自らを強いものに合わすという風潮が長い村社会の歴史の中で培われてきているので、心の中では反対であっても、強いものには巻かれて生き延びようとするのが大勢になりやすい。そこを狙って水面下の無言の圧力がかけられてくる事になるのである。
先日の朝日新聞では「報道特集」のキャスターの金平茂紀さんがテレビ報道の現場について、開かれた空気が消え、強まる同調圧力の元「吠えない犬」ということを話してられたが、その中で、テレビ局の中でも「おおっぴらに議論するという空気がなくなってしまったと正直思いますね。痛感するのは、組織の中の過剰な同調圧力です。萎縮したり、忖度したり、自主規制したり、面倒なことを起こしたくないという、事無かれ主義が広がっている。若い人たちはそういう空気の変化に敏感です」と言われているが、こういう傾向は「強いものには巻かれろ」とかYK(空気を読む)で行動せよという日本の昔からの特徴とでも言えるものなのでますます怖い。
この表と裏の乖離は、当然戦前、戦中は強かったが、戦後になってもその傾向はなくならず、社会全体の傾向が自由で民主主義的な時にはあまり目立たなかっただけで、為政者や権力者の力が剥き出しになったり、社会の矛盾がひどくなるととたちまち本音と建前が分けられて表面を取り繕う事が多くなり、権力者はそれにつけ入って、ますます自分の行きたい方向に人々を引っ張っていこうとする。
戦前がそうであったが、今まさに同じようなことが繰り返されようとしている。上のキャスターの言葉の示す通りならば、事態はますます悪くなるであろう。この道がそのまま進んでいくなら、その先には戦争が来るか何が来るかわからないが、いずれにしろ行き着く先は破滅しかない。この国はもう一度破滅しないと新しく生まれ変われないのであろうか。
ドイツは第一次大戦後せっかく素晴らしいいワイマール憲法を作って再出発しようとしたが、ヒトラーによって憲法にあった緊急事態法が利用され、合法的に議会を乗っ取られて、独裁政治が生じ、果てはユダヤ人の虐殺、第二次世界大戦となり、遂には二度目の破滅を来たして、国土を分割されることになってしまったが、日本がその二の前を踏む恐れは決して少なくない。もし今度戦争になれば、勝っても負けても国土や国民は破滅する。
実際にこの国がどうなっていくか、まだ民主主義を守っていこうとする民衆の力も大きい。憲法を護り戦争に反対する勢力も多く、この夏の参議院選挙がどうなるか、もう少し様子を見ないとわからないが、今の調子で勢力のバランスが変わっていくとすれば、恐ろしい未来も覚悟しておかなければならないかも知れない。