初詣での行列

 いつの頃からだろうか。正月になると家の近くの神社から溢れた参拝客が神社に通じる道に延々と長い行列を作るようになった。今年も行列は神社の外だけでも70〜80米も続いていた。

 話を聞けば、このような行列は正月には、ここだけでなく、あちこちの神社でも見られる現象らしい。昔はこのようなことはなかった。それだけ参拝客が増えたわけではない。戦前、国民が半ば強制的に神社の参拝をさされた時代には、参拝客は今より遥かに多かったはずだが、参拝のために道路にまで溢れてこんなに人が並ぶことはなかった。

 考えてみると、昔の初詣などの時には、皆が一斉に神社の境内に入って、拝殿の前の広場は所によっては身動きもならないぐらいに人でぎっしり埋まることもあったが、参拝客が並んで順番を待って参拝するようなことはなかった。

 皆が一斉に我先にと拝殿を目指すので、混雑してなかなか皆が拝殿の正面にまで行き着けない状態ともなり、拝殿に近づけた人たちでも皆が正面ばかりでなく、横の方からも後ろからも一斉に参拝するような格好となったものであった。

 神社もそれに対応して、初詣の時にはいつもの賽銭箱ではなく、大きな布などで横幅の広い大きな臨時の賽銭箱?を準備し、参詣客は大勢が一斉にお賽銭を投げてお参りしたものであった。当然、大勢の人垣に阻まれて最前列までは進めず、人の後ろや横から遠くに賽銭を投げる人も多く、お賽銭が賽銭箱に入らず、神社の庇や階段などに落ちるようなことも珍しくなかった。

 西宮恵比寿の初詣の一番乗りの競争や、神社の大騒ぎのお祭りなどかららも分かるように、本来神社詣では大勢で賑々しくやるもので、その勢いに乗せられて個人もお参りするような感じのものであった。静かにお参りする時でも、大勢一緒であれば、皆が拝殿の前に並んでお参りすることも多かった。もちろん個人で参詣に行った時などは、個別にお参りしたが、それでも行列に並んでお参りしたようなことはなかった。

 そう言えば、最近は何でも行列して順番待ちである。知らない人と一緒にということも少ない。昔は電車に乗るにも押し合いへし合い、買い物でも早い者勝ちが多かったが、今は何処へ行っても、誰かに指示されなくとも、皆が黙って行列を作って順番を待つのが社会の自然なルールになっている。

 従って、神社の外で順番待ちに並ぶ人たちも、時代の趨勢で、他人が並んでいるからそれに従っているだけのようである。決して並んででも、是非とも参拝しなければという強い信仰心から並んでいるわけでもなさそうである。

 神社の氏子制度もなくなり、お祭りも廃れ、平素の神社とのつながりもない人が多くなった現在では、おそらく、神も以前の人たちの場合よりさらに遠いのではなかろうか。神社参拝も宗教というより漠然としたアニミズム的超越者への神頼みのようなものであろうか。

 ただ習慣としての正月の行事の一つとして、人並みに済ませるために、気軽に行列を作って順番を待ってお参りすることになっているのではなかろうか。それが日本人の神さまのようである。