戦車より白旗こそが命綱
身を捨てる国にあらずと国を捨て (朝日歌壇俳壇?より)
国と国民は別である。理想な民主主義の国であれば、国民が国を作ってるのであり、国民の利益と国家の利益とは一致するであろうが、現実にはそういうことはあり得ない。
日本は民主主義国家だと言われているが、国家としての政府が行なっていることが、殆ど全ての人たちの願望に合致しているとは到底言えない。最近の施作だけを見ても、政府の安倍前首相の国葬の強行などは80%の国民が反対していた様だし、最近の予算の裏付けもない軍備の極端な増強、他国に対する先制攻撃さえ可能とする対外政策の変更などについても、常識から言っても、これまでの平和憲法にも違反することであり、国会での詳しい説明も論議もないままで、当然反対する国民も多いに違いない。
さらには最近の新聞記事によると、沖縄返還時の日米間の核持ち込みの秘密合意などは、国民にひた隠しに隠してこっそり行われたものであったことなどからみても、国民の意思と国家としての政府の行動との間には相容れない差異がある事は明らかである。
こうなると、仮に戦争が始まるようなことになるとすると、当然政府は国を守るために国民は戦えと言い、徴兵制を敷くかも知れないが、全ての国民が自らの命を投げ出してまで、国と称する政府のために戦わねばならないものであろうか。
国としての政府が真に国民を守り、国民のために働いてきてくれたのであれば、国民は国のために戦うであろうが、そうでない政府のために、国のためと言って、国民が命をかけてまで戦う動機は生まれない。
先の大戦などで忠君愛国を心から信じて戦死した多くの人々は自分の信念に従って命をなくしたのであり、また、そうは思っていなかった無念の最後を遂げられた人々に対しては、永遠に熱く葬りたいが、今後の戦については、それが真に自分が命にかけても守らなければならないものかどうかを考えて行動すべきであろう。
政治家は必ず「国を守るために国民は命を捨てろ」と安易に言うであろうが、彼らは決して自らは戦争に行こうとはしない。国という抽象的なもののために国民を犠牲にしようとしているだけであり、誤魔化されてはならない。
守るべきものは自らの命であり、家族や親しい友人たちである。国は潰れてもまた作れば良いが、自分や親しい人たちの命は一旦失われれば、もう二度と帰ってこない。戦には負けても良い。白旗を揚げて初めから降参しても、命さえ助けて貰えれば死ぬよりマシである。
現にこの国はかって戦争に負けて、今でもアメリカの属国ではないか。それでも社会があるではないか。平和な生活が送れているではないか。負けるが勝ち、命あっての物だねと言うこともある。戦争は避けよう。逃げよう。皆で逃げよう。
国のために命を捨てるな。