戦争は絶対するな

 12月8日、7月7日と8月15日は死んでも忘れられない日と言ってよいであろう。未だに戦争の記憶は昨日のことのように残っている。8月6日の原爆や3月14日の空襲も、あの惨状は昨日のことのように脳裏を離れない。

 私は敗戦の時十七歳であった。皇国日本に純粋培養されて育ち、忠君愛国の熱情に燃え、天皇陛下の御為には本当に死ぬことしか考えられなかった、帝国海軍の最後の海軍兵学校生徒であった。

 それからもう七十七年が経ってしまって、私は現在九十四歳になる。今では戦争を知る人は殆どいなくなってしまった。田中角栄が「戦争を知っている者がいる間は大丈夫、日本は二度と戦争をしないだろうが、それから先はわからない」というようなことを言ったが、今やもうそのわからない時代になってしまっている。

 今の人たちにとっては、戦争の残虐さ、悲惨さ、理不尽さは理屈では分かっても、心の底まで響いていないのは仕方ないことであろう。ウクライナの戦争が起こっていても、これまでの朝鮮戦争ヴェトナム戦争イラクアフガニスタンなどの戦争報道に慣らされてしまって、同情はしても、他人事であり自分のこととして考えることは出来ないでいる。

 近頃は日本を守るためには先制攻撃さえ辞さない。国を守るためには、金の出どころより先に、軍事費を全予算の2%まで増強しろなどと、アメリカに言われるままに、それに乗って景気の良いことを言う人も増えてきたが、今度、日本が巻き込まれる全面戦争が起これば、日本が生き残れる確率は極めて少ない。

 アメリカや中国、ロシアなどの大きな国と比べて、日本は小さな島国で、おまけに不相応に多い人口まで抱えている。四方の海を遮断されたら国民は飢え死にする。飢え死にしなくても、水爆の四〜五発も落とされたら、日本国中で生存可能な所はなくなる。そうでなくとも、若狭湾の海岸に集まっている固定された原発が、潜水艦発射のミサイルにでも攻撃されたら、もうそれだけでお手上げになるであろう。

 景気の良い先制攻撃の話をぶち上げたりしても、大きな国土の広い国は少々叩かれても生き延びられるが、小さな国ではそう言うわけにはいかないことを知るべきである。以前の大戦でも、その当時あれだけ遅れ、乱れていた国であった中国に対してでも、日本がとうとう勝てず、最後には太平洋戦争になって負けてしまったことを思い出すべきであろう。

 国土も広く、人口も日本の10倍もあり、当時と違い、産業も発展し、経済規模が日本の4倍もあり、国民も団結し、しかも、あらゆる点で日本を追い越してしまった中国と今戦って勝てるわけはない。アメリカとの戦争の時、祖母が言っていた「あんな大きな国と戦争をしてなにが勝てるもんかね」通りに惨めで悲惨な敗戦を迎えた教訓を忘れてはならない。

 仮に、中米の戦争になって、アメリカ側で戦わされることになっても、アメリカは日本を前線基地として利用するだけであり、直接、中国と対戦させられる日本が完全に破壊されることになっても、アメリカは日本を見捨てて逃げ帰れば良いだけである。

 沖縄や先島列島に先制攻撃の基地を儲け、そこからの先制攻撃に成功したとしても、広い中国の全て破壊することは不可能である。当然起こる反撃によって、これらの狭い限定された島の固定された基地が間違いなく破壊されることは明らかであろう。島民には逃げ場もないのである。

 アメリカに唆されて、アメリカを頼って先制攻撃をかけることは自滅行為である。日本は狭い島国に大勢の人が住んでいることをくれぐれも忘れるべきではない。万一攻撃されそうになれば、白旗を上げてでも、戦争は避けるべきである。戦争はそれこそ悲惨な生きるか死ぬかの問題で、弱虫と言われても、死ぬより生き残らなければ話にもならない。戦争はどれだけ犠牲を払ってでも、みっともなくても、避けるべきである。

 もうすでに、日本は七十七年前にアメリカに国土を荒廃させられ、アメリカに降伏し、占領され、以来アメリカの属国となっているのである。幸い朝鮮戦争ベトナム戦争のおかげで生き返り、先進国の仲間入りが出来たが、今もアメリカの属国であることに変わりはない。

 属国は宗主国にある程度従わねばならないであろうが、仮に戦に負けて属国の主人が変わろうとも、国民の安泰が守られさえするなら、現状と差して変わらないという強みがある。いかにアメリカに乗せられても、この国の我々庶民の命を守るためには、絶対に戦争はすべきではない。

 朝日川柳に「戦車より白旗こそが命綱」(兵庫・小林哲也)というのが載っていた。御国の為に命を捧げるよりも、どんな困難にも耐えて、一度しかない命を守ることの方が遥かに大切なことを知るべきである。