フランス革命は自由、平等、博愛を掲げた民主主義革命として知られているが、最近アメリカなどがしきりにい言う民主主義は自由の強調ばかりで、平等が疎かにされている。事実人口の5%にも満たない一部の高額所得者が自由に振る舞って富を独占し、残りの人たちとの格差がベラ棒に大きくなっている。
これが民主主義と言えるのだろうか。大金持ちは金の力によって自由に振る舞っているが、金のない多くの庶民にとっては、生活を成り立たせるだけで手一杯で、自由にしようとしても、経済的に自由に出来る範囲は必然的に狭くならざるをえない。
そんな諦めの境地の中で最近聞くのは、自由が理念としても魅力的でさえなくなってきていると言う人もいるそうである。「他人の自由はリスク」「自分の自由は負担」という感じらしい。他の人が自由にすると、こちらがどんな目に合わされるかわからないし、自分に自由が与えられると、自己責任だと言われて、そのツケが全部自分に回ってくるということらしい。
その結果、人々は国や法による強制力、すなわち権力に頼るようになってくるという。そこから権力批判をするよりも、権力を使って何を成すか前向きの提案をすべきだということを言う人さえいる。権力に結びついた金持ちにとっては万々歳であるが、力のない庶民はただ黙って服従するだけとなる。手放しの自由の行くきつく先が案ぜられる。
人々の求めるものは自由よりも先に平等であろう。災害や社会的困窮時を見ればわかりやすい。人々は自由よりも平等に耐えることを求めることがわかる。平等にも色々問題は多いが、平等のない民主主義は考えられない。博愛も上からの施しではなく、平等な人々の相互の友愛でなければならないであろう。
個人にとっての権利としての自由は大切であるが、自由が他の人の自由を奪ってはならない。社会にとっては平等な中での自由であり、他人との平等を破る自由は許されるべきではないであろう。