満年齢か数え年か

 今のように年齢を満年齢に言うようになったのは戦後のことである。昔は数え年で言うのが普通であった。そんなわけで皆年齢を二つ持っていることになるので、その場その場で、自分に都合の良いように使い分けることが出来る。

 若い時には他人に馬鹿にされないように、年齢を偽って実際よりも歳を多くいう傾向がある。私と同級生だった手塚治虫は若い頃、実際には昭和3年生まれなのに大正15年だと嘘をついていた。この頃の青年は満年齢より数え年を使いたがったものであった。

 しかし、成人して社会の働き手の中堅となると、次第に若さを強調したくなる。若さと能力が武器となる。当然数え年より少しでも若い満年齢の方が適している。人は嫌でも歳をとっていくが、年と共により若さを強調したくなっていくので自然と満年齢が定着して行ったのであろう。

 特に女性には年齢にこだわる人が多い。昔どう見てももう中年だった知人の女性と佐渡島へ行った時のことである。船に乗るのに申告書に年齢を書く欄があったので、何歳か確かめようとして盗み見をしたら、三十五歳と書いてあり、明らかな詐称に驚かされたものであった。

 五十代、六十代と歳を取っていくとともに、ますます少しでも若く見せたくなるのが人情である。髪を染めたり、かつらを被ったり、若作りをしたりして、年を誤魔化そうとするが、そのうちに還暦、古希、喜寿という年齢の節目と共に嫌でも自分の歳を自覚させられていくことになる。

 ところが、その先、男八十歳、女八十七歳の平均寿命のを超えて、米寿、卒寿も過ぎるようになっていくと、今度は逆に、それだけ長く生きたことが密かな自慢になってくるのである。

 元気なうちにと、米寿、卒寿は数え歳で祝う人が多いそうだし、九十歳も越えれば、自分の年も多い方が自慢になるので、数え歳で言いたくなる。私もここ一、二年、数え歳でいうことが多くなってきた。現在、満年齢では九十三歳であるが、この正月で数え年で九十五歳になったので、キリも良いので、九十五歳になったと言っている。

 そんなところに、朝日新聞に載っていたある歌人の記事が面白かった。短歌の投稿の書式に、名前はともかく年齢の記入は必須ではないが、高齢者には自らそれを記してくる人が多いそうで、その中には例えば91歳2ヶ月と月まで書いてくる人がいるそうである。これは七十代までの人では皆無で、全てそれ以降の人の特徴だと書かれていた。

 歌人は自分の年齢だけでなく、月齢まで意識して生きる人々の存在を知って驚かれたようであるが、満年齢だけではまだ足りない生きてきた年月を誇りにしたい高齢者の自己表現なのであろうと思われ、同感するところであった。