昭和は遠くなりにけり

 今年はもう平成二十九年、来年には天皇退位で平成も終わり、再来年からは新しい年号が始まるようである。

 私が生まれたのが昭和三年で、それから敗戦の昭和二十年、その後の昭和は63年まで、その間は随分長い感じだったが、平成の二十九年はアッという間に過ぎてしまう気がする。昭和天皇がとうとう戦争について国民に何も言わずに死んでしまって、小渕大臣が平成と書いた紙をテレビで示し、平成元年が始まったのがつい先日のような気さえする。

 思い返してみると、私の子供の頃には明治維新や日清、日露戦争などは随分昔の歴史上の出来事のような感じがしていたが、敗戦の千九百四十五年を基準に考えて歴史を振り返ってみても、明治維新が千八百六十八年、日露戦争が千九百二〜三年、関東大震災が千九百二十三年だから、明治維新でも七十七年前、日露戦争が四十年余り前、関東大震災などはたったの二十二年前のことに過ぎなかったわけである。

 それと比べてみると戦後から今日まではすでに七十二年経ってしまっているのである。明治維新から敗戦までの大日本帝国の全史にも匹敵する長さとも言える。その中でも長い昭和の年代が六十三年に終わってからだけでもすでに二十九年経ったということになるわけである。

 平成になってから生まれた人でも、もう二十九歳という立派な大人である。そんな人から見ればあの戦争も、もう七十年以上も昔にあった古い歴史的事実ということになるであろう。実際に体験し、苦しめられた私たちの世代の者が感じる戦争と、今の若い人が感じる戦争では違った印象になるのは当然であろう。

 平成生まれの人から見れば、父の時代よりもっと前の、祖父の時代の出来事なのである。歴史で習っただけで、父母も実際には知らない過去の歴史である。戦争の悲惨さを教えられても、せめて体験者からの直接の話を聞くのでなければ、話としては理解できても、体で受け止めるような深い理解は困難であろう。

 戦争のことばかりではない。天変地異や何でもない日常の生活のことにしても、いかに伝えようとしてもせいぜい次の世代ぐらいまでで、その次の世代ぐらいになると、もはやいかに伝えようとしても、いかに真実に近付こうとしても、実際の体験者の深い想いにまでは至らず、長い経過の間に委細は消えたり、いろいろな事情が加わったりして、いかに努力しても体験者と同じ理解には達し得ない。

 最近インターネットのSNSの若い人たちの書き込みを見ても、私たちの年代の常識とはだいぶ乖離したところで話がやりとりされていることに驚かされることが多い。

 例えば、豊かな現在の生活からはもう戦前の貧しかった日本の実情を理解できない人たちが増えたのであろうか。戦前でも百姓は皆主食に米を食っていたのが当然のことと思うようで、昭和になっても飢饉があり娘を売らなければならない生活があり、この狭い日本で七千万の人口を養っていけないのは当然だろうとして移民が奨励されたことなどは理解が難しいのであろうか。

 百姓が米を食っていなかったら余った米はどうしていたのかという質問があり、呆れるよりほかなかった。私の子供の頃の体験でも、田舎ではまだ筒っぽの着物を着て、裸足で学校に行く子も多かったし、大阪の郊外でさえ小学校六年で初めて汽車を見た子もいたのである。

 どこへ行ってもボロを纏った乞食がいたし、赤痢や腸チフスで一緒の遊んでいた子が翌日にはもう死んでいたり、結核一家全滅の家などもあった。「一汁一菜百億貯蓄」という国の標語のごとくに食べ物も貧しく、脳卒中で倒れる人も多かった。学校では寄生虫の検査があり、栄養失調が問題であったなど、国民の生活は今からは考えられないぐらい貧しかったのである。

 各地の方言が薄められたのもテレビが流行ってからのことで、それまでは東北の人と薩摩の人では通訳を入れないと全く会話が成り立たないぐらいの言葉の違いがあった。

 戦前の昭和の初めはこんな世の中であった。従って、あの戦争もそんな国状の中で起こった侵略戦争であり、植民地であったわけで、今では考えられないぐらい野蛮な軍隊であり、野蛮な戦争であった。

 戦争も今ではアメリカとの太平洋戦争が主として語られるが、昭和五年の満州事変以来、上海事変支那事変と続く中国への侵略戦争が十年以上も続いた末に、それが大きな原因となって日米戦争が起こったのである。こちらは四年で徹底的にやられて負けてしまったわけであるが、中国との戦争が始めで、泥沼に入り込んだ元凶であったことも認識すべきである。

 すでに昭和は遠くなり、歴史はどんどん過ぎ去って行くが、その間に歴史は必ず後からの恣意的な歪曲が起こるもので、実際の体験者の思いが正しく伝わるものではない。

今では南京事件慰安婦問題などなかったという人までいるが、その時代にはむしろ公然と自慢にして話されていたことであり、後から歴史が改竄されたのが本当のところである。

 個々の歴史は時間の経過とともに歪められていくのは必然とも言えるが、大きな世界の歴史の流れを掴み、その中でその時代の人々がどのように生き、どのような役割を果たしたのかを新しい世代の人たちが見て、そこから未来への教訓を汲み取って行ってくれれば良いのではないかと思っている。

 「大日本帝国」が誤った道に踏み込んで、国内外に多大の犠牲者を作り、取り返しのつかない歴史上の汚点を作ってしまった事実は嫌でも自ら認め、そこから出発するよりないことを知るべきである。