ヒロシマで戦争あおるG7

 ”ヒロシマ”で戦争あおるG7”

 岸首相が広島出身だから広島でG7 会議をやりたかったのは良くわかる。そして広島と言えば何といっても、非人道的な大量殺戮爆弾である原子爆弾が、アメリカによって、人類に最初に落とされた場所「ヒロシマ」として、世界中に知られている都市である。

 この広島の惨禍を、アメリカの非人道的な残虐行為を、広く世界の人たちに知って貰う機会になることはよいことである。一人でも多くの人たちがこの人類の愚かな行為を記憶から呼び起こし、大量殺人の戦争を止め、平和を語り合う世界を確立することは今後の人類の発展のために大いに称賛されるべきことである。

 しかし、現実は核兵器廃絶と言いながら、核拡散条約は広がらず、アメリカをはじめ核保有国の核独占に始まり、それに入れぬ国が自衛のためとして核を持つようになり、核廃絶への世界の人々の希望をよそに、多くの国が核兵器を開発保有するようになっている。

 そうした中で、我が国はアメリカの核の保護下にあるからといって、核拡散条約に署名することすら拒否し続けているだけでなく、核の技術を保持するために原発事故を経験しているにも関わらず、原子力利用を止めようともしていない。

 そんな中での広島サミットに集まったバイデンアメリカ大統領をはじめとするG7各国の代表たちが揃って原爆資料館を見学し、原爆の犠牲者の霊に花輪を捧げて弔ったことは、原爆の実態を少しでも知って貰うためにも有難いことであるが、そのすぐ後で、ウクライナの戦争の和平への道筋を討議するなら良いが、まさにこの平和の象徴であるヒロシマで、逆にウクライナへの軍事援助を強化し戦争を拡大させる相談をすることは、原爆犠牲者の霊を冒涜する行為ではなかろうか。

 

 しかも、ロシアや中国の核兵器を非難しながら、広島に原爆を落としたことなどなかったかのように、G7の広島ビジョンとして「核兵器のない世界」を「究極の目標」へと永久に先送りして、「核兵器は抑止力」と公然と宣言し、アメリカやG7諸国の核兵器については口を閉ざす行為は、広島の人々の核兵廃絶の切なる願いを無視するものである。

 折角広島で会議をするからには、せめて核兵器廃絶への足がかりでも討議して欲しいものである。議長国である日本政府はもう少し毅然として、アメリカに遠慮することなく、核兵器廃絶への道筋を前進させるべく努力すべきだったのではなかろうか。あまりにも情けない岸首相を始めとする日本政府の行動に絶望感を感じざるを得ないのは私だけであろうか。