三陸鉄道

 東北旅行で岩手県三陸海岸で、久慈から普代まで三陸鉄道に乗った。

このリアス式海岸に沿って走る鉄道は、明治の時代から地元の要望によって少しづつ作られ、長い期間をかけてようやく全線が結ばれる目処がついた時点で、国鉄が解散し、第三セクターとなりようやく完成したという苦難の歴史を持った鉄道である。

 ところが、ようやく地元の足として動き始めたこの鉄道も、初めは黒字であったが、地方の疲弊に伴い、やがて赤字になり、運営に苦しんだところに、今度は東日本大震災で大きな被害を受け、線路が寸断されてしまう悲劇に見舞われてしまうのである。

 鉄道ばかりでなく、この地方の災害が激甚であったこともあり、復旧にまた時間がかかり、ごく最近になってようやく殆ど全線が開通したという運命の鉄道とも言える。何はともあれこの鉄道が開通したことは喜ばしいことである。

 しかし、大震災によるこの地方の被害は大きく、8年経った今でも震災前の街はなくなり、人口は更に減り、果たして鉄道が開通したものの、今後これを維持していけるのかどうか疑問が残る。

 そんなこともあって、今や生活路線だけでは無理なので、観光路線として生き残ろうとしているのであろうか。私が乗ったのもツアー旅行の一環としてであり、他のツアー団体も見られたので、鉄道会社が旅行会社に頼んでツアーに繰り込んで貰っているのではなかろうか。

 実際に乗ってみても、全員と言って良いぐらい、乗っているのはツアー客ばかりで、地元の乗客は皆無と言っても良い。その代わり、景色の良い見所では、写真が撮れるぐらいの短時間、列車を止めてツアー客へのサービスもしてくれるし、ツアー客が降りる駅では予めその旨の車内報送も流れるし、通常は開かないドアも全て開けてお客の便宜を図ってくれる。

 ただ、団体客が降りた後の電車は空っぽであろうし、ツアー客の乗らない時間帯などの列車はどうなっているのだろうかと他人事ながら心配になった。

 なお、この電車では車内販売もやっていたが、車内販売というから手押し車に商品を積んでやってくるのかと思ったら、スーパーのような買い物籠に商品を入れ、両手に一つづつぶら下げて持ってきて、客の要望があれば、籠を通路の床に置き、販売員も座らんばかりに屈みこんで商売をしていた。

 いくら鉄道会社の財政が苦しくても、せめて手押し車ぐらいは買って、販売員がプライドを持って働き易くしてやるべきではなかろうか。いくらローカル線と言えども、地べたでの商売はあるまいと思った。

 そんなこともあって、私もお土産に地元のお菓子を買ったが、それは乗る前に聞いていた「ぶすのこぶ」と言う名のお菓子と「三鉄銘菓・三鉄赤字せんべい」のセットであった。呼び名が面白いので求めたのだが、これはアイヌの伝説から来ており、方言のブシが訛ってブスとなり、アイヌが好んで集まった窪地がコブとなったのだと言う。地元の菓子屋の主人がその名の響きの良さから取り上げ、自社の看板商品に仕上げたものだそうである。赤字せんべいはもう開き直った命名である。

 お土産に持ち帰ったが、「ぶすのこぶ」では人にあげるわけにもいかないのでうちで女房と分けて食べた。聞いた話で、ある人がお見合いのお礼に、地元の銘菓であるこの菓子を持って行ったばかりに、折角の話が破談になったということもあったそうである。