弥縫策

 二〜三日前だったか、朝刊に7月の参院選挙をめぐる「一票の格差」訴訟で高松高裁が「違憲状態」と判断したことが載っていたが、その見出しに大きな文字で『法改正は「弥縫策」、原告側「今後の判断期待」と書かれており、弥縫策の文字には丁寧に「びほう」とふりがなまで振ってあった。

 国会が2015年の公職選挙法改正で「19年の参院選に向けて選挙制度を抜本的に見直し、必ず結論を得る」とした付則を設けていたのに、今夏の参院選に向けた法改正では依然として3倍を超える格差があることを高松高裁が「弥縫策」と断じ「違憲状態」としたのであった。

 この判断が広がって欲しいものだが、新聞を見ていて、大きな弥縫策という見出しの文字にふりがなが付いているのに何か不自然さを感じて、思わず小さな声をあげたら、たまたま近くにいた娘が覗き込んで、「弥縫策って何、こんなの初めて見た、弥なんて『や』としか読めないじゃないの」と驚いていた。

 同じ驚きなのだが、全く違ったことに驚いたのである。私は弥縫策という見出しにふりがなのあることに驚いたのだが、娘は見たいことのない弥縫策という言葉が大きく書かれていることの驚いたようである。

 弥縫策などという言葉はいうまでもなく急場を取り繕って何とかしのごうといいう姑息な手段をいうもので、これまでもしばしば出くわした言葉で、当たり前のように使われてきているもので、大きな見出しにまでふりがなを振らねばならないようなことではないのにとも思ったのだが、もう今ではあまり使われず、若い世代の人には馴染みのない言葉になってしまったのかも知れない。

 それなら今では、どういうのであろうか。姑息的な応急手当てとでもいうのであろうか。或いはその場凌ぎ、その場逃れ策とでもいう方が多いのかも知れない。それにしても、現実の世界を見れば、政府をはじめ多くの役所などの対策には、根本的な見直しや対策が後回しになったまま、その時々の弥縫策でごまかされていることが如何に多いことであろう。

 最早、衣服などを縫い繕ったりすることは流行らなくなったけれども、他の言葉よりも的確に姑息な手段を的確に表現してくれる「弥縫策」という言葉はまだまだ使い勝手の良い言葉として残しておいても良いのではなかろうか。