杖の効用

 七十歳ぐらいの時、まだ毎日仕事に行っていた頃に、いつか足を挫いて一週間ほどびっこを引かないと歩けないことがあった。その時に杖を一本買った。どんな杖が良いかわからなかったが、老人や足の悪い人がよく利用している金属製の伸縮自在の杖はいかにも老人くさくて嫌だったので、出来るだけ杖というよりステッキといった方が似合うようなものにしたいと思った。デパートのステッキ売り場へ行ったら、ステッキと言ってもずいぶんいろいろ種類があるのに驚かされた。

 一番多いのはやはり金属製のT字型の取っ手のついたものであり、折り畳み式のもの、縦に伸縮の効くものなどあり、材質も金属のものが多かった。木製のものでも、傘のようなループ上の取っ手のものや、丸く少し膨らんだだけの頭をしたものなどいろいろである。値段もいろいろだが、中にはスネークウッドとかいう特別な木で出来たもので八十万円もするものまであった。

 売り場のおばさんの話によると、折りたたみ式のものが年寄りに人気があるということであった。格好を気にする年寄りは折りたたみ式の杖を鞄に忍ばせて何食わぬ顔をして家を出、少し行って横町を曲がった所でおもむろに鞄から杖を取り出して利用するのだそうである。そう言えば、昔、老いた母に何度杖を使えと言っても杖を嫌がったものであったことを思い出す。

 杖の種類にはこれらの他にも、リハビリ用というか医療用というのか、下に四つ足が付いていてそれ自体で立てる多足杖や、昔から馴染みの松葉杖、ウオーキング・バッグなどといったものもある。

 私は軽いからといって薦めてもらった楓の木でできた頭がループ状になったステッキを購った。持ち手が曲がっているので腕でぶら下げるのにも便利だし、持ちやすく、軽くて長さもちょうど良かったので、それを求めて足の悪かった一週間フルに利用させてもらった。

 ところが足が治ってしまうともうステッキは無用の長物である。玄関の傘立てに突っ込んだまま長い間日の目を見ることもなかったが、それでも年をとったらきっと使う機会も出来るだろうと思ってとっておいた。

 案の定、八十を過ぎると、たまに何かの拍子に道で転倒することが起こるようになった。足先の上がり方が自然に悪くなったのか、バランス感覚が悪くなったのか、何でもないようなところで急に転倒するのである。転倒する時はスローモーションピクチャーを見ているようなもので、自分では「しまった、転倒するぞ」と始めから分かっていても、転倒しかけるともう止められない。「ああ・・・」と思いながらだんだん体が傾いていって倒れてしまうまでどうしようもないのである。

 幸いなことにいつも手や指の傷ぐらいで済んだが、そういう時にステッキの存在を思い出し、「転ばぬ先の杖」とばかり、それからは出来るだけステッキを利用するように心掛けることにした。それと同時に、時間的な余裕も出来てきたので、転ばぬためには足腰も鍛えた方が良いだろうと思って、毎朝ラジオ体操を始めた。その効果があったのかどうかはわからないが、それから後は滅多に転ぶこともなくなったが、ステッキはなるべく利用するようにしている。

 ところでステッキと杖とはどう違うのか。同じことだが、杖といえば老人くさいが、ステッキといえば今はあまり流行らないが、私の子供の頃はおしゃれな持ち物の一つでもあったのである。チャップリンの映画にもよく出てきたし、イギリスのチェンバレン首相が愛用していたことも覚えている。そんなこともあって私は出来るだけ杖とは言わずにステッキと言って愛用することにしている。

 ステッキの効用はもちろん体を支え、転倒を防止することが最大の効用であろうが、ステッキを利用していると色いろなことが分かってくる。歩く時にステッキで調子をとると調子よく歩けて気分が弾むことにもなりやすいし、調子をとることによって普通より速く歩くことも出来る。

 ただし、気をつけないとステッキは体より少し外側を突いて歩くことになるので、道の端に凹凸があったり穴があったりするとそこにステッキの先がそこへ入り込んで、ステッキのために返って転倒することにもなりかねない。ステッキを使う時にはあまり速くは歩かないようにしていただきたい。また、他の人と連れ立って歩くような時には、その人にステッキと反対側を歩いてもらうようにしないとその人の足をステッキが邪魔することにもなりかねない。

 坂道を上るのが楽なのもステッキの効用の一つであろう。二足歩行が三足歩行になるのでステッキが体の移動を助けてくれるので足だけで上がるより楽に上がれる。北欧ではやり、最近では日本でも結構利用されているノルディックスティックスも持っているが、これだと二本を同時に使うので四本足になるので上り坂などはさらに楽である。

 こういう効能の他にもステッキには最近発見した間接的な効用もある。九十歳近くにもなると電車などに乗った時に席を譲られる機会が増えたが、気が付いたのは、この場合はステッキというより杖と言った方が良いかも知れないが、杖を持っていると席を譲ってくれる人が多いことである。

 杖がないと、私など顔を見ても年の割の若く見えるためかも知れないが、席を譲られる機会が減る。普通は乗り合わせた他人のことをいちいち詳しく見ているわけではないので関心が向かないと、席を譲ろうという気が起こらないことも多いであろうが、杖は老人の標識になるようである。杖をついた足の悪そうな老人には席を譲らなければという気を起こさせるのではなかろうか。

 この間など、このステッキを持って山を歩いてきた帰りに電車に乗ったら席を譲られたが、さすがに山歩きの後少しだけの区間しか乗らない電車で席を譲らせるのは気が咎めて丁重にお断りした。しかし、老人のシンボルになるのだから、電車で座りたい老人は格好のことなどを気にしないで出来るだけ杖を持たれることをお勧めする。

 なおこれから感じたことはマタニティの女性の保護のためには、せっかくマタニティ・マークもあるそうだから、マタニティ女性はもっとそれを活用すべきだと思う。外見上分かりやすい老人でも杖というシンボルがあると認識しやすいのだから、わかりにくい妊娠女性の場合は一層シンボルマークをうまく活用すべきではなかろうか。

 なお、ついでに老人のワル知恵をお教えしておく。電車などで女房ともども座りたい時は、 杖を持って行くことである。電車に乗ったらなるべくなら優先座席の前が良いであろう。杖を持った私と女房が立っていると、大抵私に誰かが声をかけて席を譲ってくれる。その時素直にすぐに座ってはいけない。隣の女房に声をかけて「座らせてもらいなさい」と言って女房を先にに座らせる。そうするとそれを見ていた隣に座っていた人が、奥さんを座らせて立っている杖をついた老人を見て、「これはまずい、席を譲らねば」という義務感のようなものを感じ、立ち上がらねばという心境になるのであろう。大抵、立ち上がって「どうぞ」と言って私に席を譲ってくれることになる。こうして結果として二人並んで腰掛けることが出来ることになるのである。いつしか実地の学習によって学んだ方法である。老夫婦であれば一度試して見られてはどうでしょう。